天然痘ワクチンに使われたウイルスの正体/廣川 和花(専修大学)

種痘の歴史研究における新展開

 先頃、医学研究のトップジャーナルのひとつLancet Infectious Diseasesに、19世紀から20世紀の天然痘ワクチンである「種痘」に使われたウイルスについての興味深い論文が掲載されました。ブラジルの研究者Damasoによる論文です。

 1796年、ジェンナーが搾乳婦の腕にできた「牛痘」の発疹から採った材料を少年の腕に植えつけることで天然痘を防ぐことができると報告し、この「牛痘種痘」の技術は以後、迅速に世界各地へと伝えられていったことはよく知られています。

 しかし1930年代以降の研究によって、各国で植え継がれてきた(これを継代といいます)天然痘ワクチンは「ワクチニアウイルス」というウイルスで、近縁のオルトポックスウイルス属ではあるものの、牛痘ウイルスとは異なる種類のウイルスであったということが明らかになりました。このワクチニアウイルスがいつどのように生まれ、広まったのかについて、いくつかの仮説が出されてきました。その一つに、牛痘ウイルスがヒトからヒトへ植え継がれていくにつれてワクチニアウイルスが生まれたという説がありました(添川、156-157頁)。

 現代のゲノム科学は、ゲノム(生物の生存に必要な最小限の染色体一組)の構成を分析することで、生物の種の由来や進化の流れを明らかにすることを可能にしました。こうした技術を用いて、地球規模の感染症の伝播の歴史を知ることができるようになってきています。ハンセン病や中世の黒死病が良い例です。ハンセン病はかつて、アレクサンドロス王のインド遠征によってヨーロッパに持ち込まれたと考えられていましたが、原因菌の遺伝子型分布を調べた研究によって、インドの菌がヨーロッパに移動した可能性は否定されました。現在では、ハンセン病は東アフリカおよびアジアに起源をもち、交易、植民地化や奴隷貿易などによって世界に広まったと推定されています(Monot, et al., 2005, 2009)。

図1
ワクチニアウイルス・牛痘ウイルス・天然痘ウイルスのゲノム系統図
図1出典:Damaso, 2017.

 通常、感染症はこのように人間の意図とは無関係に(というより、往々にして意図に反して)伝播されるのに対して、種痘用のウイルスは人間が明確な意図をもって「運んだ」ところに特色があり、それゆえ種痘のゲノム解析は、運んだ人間の行動や意志までもがわかる点に面白さがあります。Damasoは、現在残されている天然痘ワクチンやワクチニアウイルスのゲノムを比較(図1)し、南北アメリカ、ヨーロッパの各地域で、どこでどのように系統が分かれたかを明らかにしています。結論から言えば、18世紀末以来、全世界で使われてきた天然痘ワクチンは、牛痘ウイルスではなく、「馬痘」ウイルス―つまり「馬の天然痘」のウイルス、もしくはその近縁のワクチニアウイルスであった、すなわち牛痘ウイルスは種痘には全く使われたことがなかったというのです。種痘といえば「牛痘」、という一般常識からすれば、驚きの事実です。

 ただ、種痘の歴史研究の中では、ジェンナー自身が馬の関節にできる「グリース」という病気が牛にうつって「牛痘」を発症させる、と考えていたことも知られています(添川、162-164頁、ジャネッタ、95頁)。このことは、ジェンナー自身が「牛痘」材料が馬に由来することを理解していた可能性を示しています。Damaso論文は、種痘がはじまった当初から馬痘ウイルスが実質的な種痘の材料として使われ、広く伝播されたという事実を、改めて明らかにしたといえるでしょう。

 Damasoの研究によって、1866年にフランスで牛の間で自然流行した「牛痘」から採られたとされる「ボージェンシー痘苗(Beaugency lymph)」も、実際には馬痘ウイルスであったとみられること、これ以降これが世界中に幅広く伝播され、多くの天然痘ワクチンの祖となり、牛で継代された結果、いくつかの系統のワクチニアウイルスに分化したと考えられることがわかりました。ワクチニアウイルスは、19世紀ヨーロッパにおいて野生動物間で流行していたウイルスだが、その後ヨーロッパでは自然界の宿主を失ったとも推測されています。したがって、牛痘ウイルスがヒトからヒトへと植え継がれていくうちに自然界に宿主を持たないワクチニアウイルスへと変異したのではないかという説は否定されています。

 Damasoは論文の結論部分で、異なる系統の天然痘ワクチンの進化史には、世界中に残されている天然痘ワクチンのゲノム分析がまだ全面的には行われていないため、多くの謎が残されていると述べています。

日本の種痘史解明への期待

 Damasoはこの研究に関連して、別の有力な医学雑誌NEJMに発表された論文の共著者にもなっています。1902年に米フィラデルフィアで生産された天然痘ワクチンのゲノム解析を行ったところ、馬痘ウイルスのそれと99.7パーセントの類似を示したといいます。アメリカ大陸には自然界に馬痘ウイルスは存在しなかったと見られるため、おそらくこのワクチンはヨーロッパ由来の株から作られたと推測されています。

図2
1902年に製造されたMulford社の種痘バイアルの木製カバーとガラス容器
図2
出典:Schrick et al., 2017.

 この共著論文には、分析に使われた1902年のガラスのワクチンバイアル(容器)の画像(図2)が掲載されています。日本でも、1874年以降に牛痘植継所で生産された種痘バイアルは各所に残っていて、博物館の展示などで見かけることがあります。周知の通り、日本に種痘が伝来したのは江戸時代、嘉永2年(1849)のことですが、継代するうちにワクチンの効力が低下したため、明治期には「再帰牛痘苗」といって、ヒトからヒトへと植え継がれてきた痘苗を牛に接種し、発痘力を回復させようとしました(添川、83頁)。ということは、明治以降の日本の種痘バイアルからも、江戸時代以来の痘苗の系統が検出されうるのではないかと思います。

 そもそも、嘉永2年、最初に日本に伝来した痘苗は、どのような系統のウイルスだったのでしょうか。この時、痘苗はオランダ船にてジャワから長崎に到達しました。ジャワの痘苗は、1800年代初頭にフランス人医師がインドからフランス領フランス島とレユニオン島へ伝えたものが、ジャワのオランダ植民地に伝えられたもののようです(ジャネッタ、53-54頁)。さらにもとをたどれば、インドに痘苗を伝えたのは植民地本国であるイギリスであろうと思われます。とすれば、近世日本に伝わった痘苗も、この系統なのでしょうか。

 Damasoらの論文では、アジアで継代された株の追跡はまだ本格的には行われていません。日本の医学史研究者や博物館・アーカイブズ等が把握している情報から、現在残っている痘苗のサンプルを集め、分析することがもしできれば、日本の種痘に使われたウイルスの正体も明らかになるでしょう。それによって、18世紀末から20世紀にかけて世界規模の医療事業として行われた種痘という一大現象の中での、日本の種痘の歴史的位置を明らかにすることができるかもしれません。あるいはそうした企てはすでに始まっているのかもしれませんが。種痘の歴史は、ヒトとウイルスの相互関係そのものであり、地球規模の環境史の一部です。これまで、伝達ルートを記した文献に依拠してえがかれてきた種痘の歴史像が、ウイルスの情報そのものを読み解くゲノム科学によって大きく書き替えられる可能性に、期待が高まります。

【言及した文献】
■Monot, M. et al.: On the Origin of Leprosy. Science, Vol. 308, Issue 5724, 2005.
■Monot, M. et al.: Comparative genomic and phylogeographic analysis of Mycobacterium leprae. Nature Genetics 41, 2009.
■Damaso, C. R.: Revisiting Jenner’s mysteries, the role of the Beaugency lumph in the evolutionary path of ancient smallpox vaccines. Lancet Infect. Dis., 18(2), 2017.
DOI: https://doi.org/10.1016/S1473-3099(17)30445-0
■Schrick, L., Tausch, S.H., Dabrowski, P.W. et al.: An early American smallpox vaccine based on horsepox. N. Engl. J. Med., 377:15, 2017.
■添川正夫『日本痘苗史序説』近代出版、1987年
アン・ジャネッタ(廣川和花・木曾明子訳)『種痘伝来』岩波書店、2013年