江戸時代の乳をめぐるネットワーク/沢山 美果子(岡山大学)

 江戸時代は、出産で死ぬ母親、幼くして死ぬ子どもが多く、いのちを繋ぐことが厳しい時代でした。そんな時代に、人々はどのようにいのちを繋いできたのか、赤子の命綱である「乳」を手がかりに明らかにしてみたい。そう思って、2017年1月に刊行した本が『江戸の乳と子ども―いのちをつなぐ』です。

 江戸時代には、赤子のいのちをつなぐために乳は欠かせないものでした。江戸時代の浮世絵や農業図絵には、乳房を出して赤子に乳を与える授乳の絵が数多く見られます。そこからは、江戸時代の授乳が母と子の閉ざされた空間のなかでなされるものではなかったこと、乳房を人前にさらすことは忌避されていなかったこと、そして既に歩けるようになった子どもも乳を呑んでいたことが見て取れます。

 乳が、赤子の命綱であったことは、飢饉図のモチーフが、死んだ母と、その乳房にすがる赤子であったことからもうかがえます(図1)。死んだ母の乳を赤子が吸うという光景は、実際に飢饉のなかで見られた光景だったのでしょう。しかし、死んだ母の乳房にすがる、そしてやがて死ぬだろう赤子の姿が飢饉図のモチーフとなったことは、乳が赤子の命綱であったことを象徴的に物語るものと言って良いのではないでしょうか。

天明飢饉之図(部分)
図1 雪渓筆「天明飢饉之図(部分)」 江戸時代後期
福島県会津美里町教育委員会所蔵

 この飢饉図の「授乳しない乳房」と対称的に、いのちを育む「授乳する乳房」として江戸時代にひとつの定型となったのは「雨やどりと授乳」というテーマです。その代表的なものに、「雨やどり図屏風」(図2)があります。そこには、母親が赤子に乳をふくませて幸福そうな笑みを浮かべ、居合わせた誰もが温かなまなざしを注ぐ場面が描かれています。人々が雨を避けて雨宿りをする場は、「老若男女さまざま、縁のない人が集う」場、世間の象徴でもありました(倉地 2008)。その「雨やどり」と授乳がテーマになったということは、授乳が「世間」という人々の関係性のなかでなされたことを示しています。

雨やどり図屏風(部分)
図2 高嵩谷筆「雨やどり図屏風(部分)」
サントリー美術館所蔵(出典:『子どもの領分』)

 江戸時代の乳に目を向けるとき、赤子のいのちをつなぐためには、乳のネットワークの形成が不可欠であったことが見えてきます。その背景には、江戸時代のいのちをめぐる状況、とくに、母と子のいのちの脆さがありました。江戸時代には、母親が無事でありさえすれば、子どもが死んでも「安産」とされましたが、それは産婦死亡率の高さを反映していました(沢山 1998)。

 こうした母と子のいのちをめぐる状況のもとでは、母一人の手に子育てを託すといったことは成り立ちようもなく、いのちをつなぐためのネットワークの形成は必要不可欠なものでした。その一つとして乳をめぐるネットワークがあったことに注意をしておきたいと思います。そのことは、江戸時代には、「人乳」「女の乳」という言葉はあっても、現代の私たちにはなじみ深い、母と乳を直接結び付ける「母乳」という言葉はなかったことからも見て取れます。

 ここでは拙著『江戸の乳と子ども―いのちをつなぐ』の一部をご紹介しましたが、印象的だったことは、刊行後、読者の方々から、乳をめぐる自分自身の体験や記憶が多く寄せられたことでした。たとえば、徹底した「母乳」主義の病院で、母乳育児は母親の愛情の印、母乳育児がうまくいく環境を作るのが父親の愛情とされたことに夫婦ともに「押しつぶされそうになっていた」記憶。産後、乳の出が悪く情緒不安定もあって「おっぱいをあげれないなんて、母親失格」と号泣した記憶。そうした記憶を呼び覚まされたというのです。

 現代の授乳がストレスフルなものとなっていることは、拙著の刊行直後だった2017年1月、『朝日新聞』での、公共の場での授乳の是非を問う論争からもみてとれます。論争は、公共の場での授乳は、ケープなどで隠しながらの授乳であっても「目のやり場に困る。・・・授乳は授乳室でしてほしい」という女子大学院生の「声」欄への投書、それに対する8ヵ月の子を持つ会社員女性からの、都会の授乳室は土、日は大変な混雑で、順番待ちにも時間がかかる、人目を遮るための授乳ケープを使っても「目のやり場がないと言われてしまうと、もはやなすすべもありません」という反論から始まりました。

 この論争をめぐって、『朝日新聞』の記者から受けた質問は、「江戸時代には隠すものでなかった授乳が、大正期には母子間のものとなり閉鎖空間に押し込められることになったと本にはあるが、授乳は「母子がこっそり」という形は、戦前、戦後、高度成長期を通じて続いているのか」というものでした。しかし、私は、取材を受けた時には、その問いに十分に応える材料を持っていませんでした。

 ただ、その後、読者から拙著によせられた感想には、その問いに応えるような、戦後間もない時期の貰い乳体験を記したものもありました。たとえば、「牛乳などまだ不自由な」1948年に長男を産んだとき、「お乳がいっぱい出て、飲ませているともう一方の乳からぼた/\こぼれて着物も何もびしょ/\になって困」るほどで、「授乳しながらもう一方の乳に哺乳瓶をあてがって一杯にした母乳」を近所のお乳が足りなくて困っている赤ちゃんに長い間あげて喜ばれた体験。1950年生まれだが、母親が産後病気になり母乳を与えることが出来なくなったので、母親の「女学校時代の友人で学校の先生をしていた方に学校の行き帰り、お昼の休み時間に家に立ち寄って頂きもらい乳」をしたと聞かされたといった体験です。

 そこで戦後から高度経済成長期までの人前での授乳を写した写真がないか調べてみました。そして見つけました。『写真でみる日本生活図引』に収められた「乳をやる」と題する1953年に撮影された写真です(図3)。真ん中には農作業の合間に胸をはだけて乳をやる母と子、その両側に母子の姿を見守る祖父母らしい人物が写っています。この本には他にも、行商人の前で、離乳の時期をとうに過ぎた大きな子どもに乳を吸わせる母の姿(1957年、秋田県)、農作業のわずかな休憩時間に「いずめ」のなかの赤子に履物も脱がず四つん這いのまま乳を与える母の姿(1953年、秋田県)、さらには授乳ではありませんが、胸もあらわな腰巻だけで洗濯をする女の姿(1962年、秋田県)なども見ることができます。これらの写真からは、巨大な変化を日本社会におよぼした高度経済成長が始まる頃まで、人前での授乳、そして胸をさらすことは、農村(地方)では、あまり違和感なく、ごく普通になされていたと言えそうです。

乳をやる
図3 新田好撮影「乳をやる」 愛媛県旧西宇和郡瀬戸町川之浜
昭和28年(1953年)(出典:『写真でみる日本生活図引4』)

 『朝日新聞』紙上の授乳論争について、2017年の夏、富山大学芸術文化学部の集中講義で、江戸の乳についての講義のあとに議論をしてもらいました。そこで出された意見は大きく二点にまとめられます。一つは、少子化や近所付き合いの減少により、授乳風景を目にする機会はほとんどなく授乳に対する知識もほとんどないのに対し、インターネットの普及で、簡単に性的なコンテンツを見ることが出来るようになり、乳房や授乳というと性的なものに結び付けて考えてしまうということ。二つは、江戸時代に人々が乳を中心としたネットワークを巡らせていたことを知り、いのちをつなぐ営みが現代では大事にされていないのではないか、そしてそのことに気づかず、授乳は恥ずかしいと思っていた自分のほうが、むしろ恥ずかしいのではないかと思ったということ。この二点です。

 こうした学生たちの指摘に学ぶなら、「目のやり場に困る」という公共の場での授乳の是非をめぐる論争は、社会の寛容さと人と人のつながりが失われてきた現代社会を象徴するものと言えるかもしれません。社会の中の人と人の関係性とも深く関わる乳の歴史性に焦点を合わせてみていくことは、人々のいのちをつなぐ営みに接近するうえでも、また現代社会の生きることやいのちをめぐる状況を考える上でも、大きな手がかりを与えてくれるのではないでしょうか。

参考文献

「公共の場で授乳、どうすれば… 朝日新聞「声」の投稿から議論」『朝日新聞』2017年1月26日(東京版)
倉地克直 『全集 日本の歴史 第11巻 徳川社会のゆらぎ』 小学館、2008年
沢山美果子 『江戸の乳と子ども―いのちをつなぐ』吉川弘文館、2017年
沢山美果子『出産と身体の近世』勁草書房、1998年
サントリー美術館編・発行『子どもの領分』1997年
須藤功編『写真でみる日本生活図引 4 すまう』弘文堂、1993年

沢山 美果子 (さわやま みかこ)

 岡山大学大学院社会文化科学研究科客員研究員。博士(学術)。
 お茶の水女子大学大学院人間文化研究科人間発達学専攻では、日本の近代家族の教育家族的性格や母性が強調された意味などを研究していましたが、近代を相対化する意味から近世社会の出産や性と生殖へ研究を展開させ、その成果を『近代家族と子育て』 (吉川弘文館、2013年)、『出産と身体の近世』(勁草書房、1998年、第14回女性史青山なを賞受賞)、『性と生殖の近世』(勁草書房、2005年)としてまとめました。近年はさらに「いのち」をテーマに、人々がどのようにいのちを繋いできたかを「捨て子」や「乳」に焦点を合わせて具体的に探る試みを続け、『江戸の捨て子たち―その肖像』(吉川弘文館、2008年)、『江戸の乳と子ども―いのちをつなぐ』(吉川弘文館、2017年)にまとめ、さらに乳のネットワークの形成のされ方は、身分階層、そして家族が置かれた状況により、一様ではないことについて「乳のやりとり―下級武士の日記にみる江戸時代のいのち」(森明子編『ケアが生まれる場―他者とともに生きる社会のために―』(ナカニシヤ出版、2019年)という論文の中で考えてみました。史料を丹念に読み解くことで、歴史の中に生きた一人ひとりの女、男、子どもがいのちをつないできた営みを明らかに出来たらと考えています。