精神疾患とアート その3 飯山由貴さんのインタビュー<前編>/鈴木 晃仁(慶応義塾大学)・飯山 由貴(アーチスト)

■はじめに

 飯山由貴さん(以下敬称略)は、2013年から現在にかけて、自身の妹の精神疾患と家族の関わり、そして日本の精神医療史のなかでの患者の姿を考えるための映像作品を制作し、各地で発表をしてきた。(2017年せんだいメディアテーク、2015年愛知県美術館、など)。 それらについて、このサイトでは、ギャラリストと学芸員のお話をそれぞれ記事にしてきた。前者は2014年に東京・恵比寿の WAITINGROOMで開催された展示「あなたの本当の家を探しにいく / ムーミン一家になって海の観音さまに会いにいく」のギャラリストである芦川朋子にインタビューしたものであり、後者は2015年に名古屋の愛知県美術館での展示「Temporary home, Final home」を企画した学芸員の中村史子へのインタビューである。

 飯山には、その後も、多くの精神疾患関係の展示がある。2016年の春には、瀬戸内国際芸術祭にて、直島にある「宮浦ギャラリー六区」で「生きている百物語」という展示を行った。直島の人々や旅行者などに「今までに不思議なことや変な出来事はありましたか?」と聞いてさまざまな逸話を集め、それを軸にした展示であり、逸話の中には精神疾患とも「健康」な人間が連続的に体験した非日常的な出来事とも言える話も含まれていた。2017年の11月から12月には、仙台市のせんだいメディアテークの展覧会「コンニチハ技術トシテノ美術」に、5人の作家の一人として作品を展示した。そこでも精神疾患の主題が取り扱われていた。その展示で利用する史料の借りだしのために慶應義塾大学・日吉キャンパスを彼女は訪ねた。2017年10月12日のことである。その際、数時間にわたってお仕事やご自身の生き方や家族生活についてお話を伺う機会があった。これまでは、ギャラリストや学芸員から見たときに、飯山の精神医療と家族についての作品をどう考えるのかを聞いてきた。このインタビューでは、アーチストその人自身の語りに耳を傾けてみよう 。なお諸事情によりインタビューからこの記事の公開までに若干の年月が経過したため、インタビュー内容に記事公開時点での若干の補足を加えた。

■高校から大学入学まで

 飯山が幼少期から高校までに経験したアートは、美術館ではなく、アニメ、マンガ、映画などのサブカルチャーが主であった。小学校や中学校の時に美術の成績が比較的良かったこと、母や母方の祖母が、手に職を持った「女らしい」看護師や先生になるのが良いと言っていたことなどから、美大に行って美術の先生になろうと考えて高校に進んだ。高校に入るとすぐに、美大受験のための予備校に入った。予備校は楽しい空間であると同時に、美術を学ぶことの難しさを教えてくれた。それは、美大受験の目的で上手な絵を描くことと、表現してイメージを作る楽しさの間に、不安定な折り合いをつけなければならないことである。美大を受験して成功すること、ことに、男性の教員たちがいまだに多い東京芸術大学に合格するためには、作品に余分なことを描きこんではいけない。足先にマニュキアを塗っているからといって、それを描くと、自分が女であるという「余分な」要素を含んでいて合格が難しくなるのである。その一方で、自分の身体を描くよろこび、自分がこうだったと表現するよろこびも存在する。飯山はこの二つに折り合いをつけようとするが、それは不安定なものだった。

 そのころ、一歳年下の妹の精神疾患が明らかなものになっていた。診断名が変化していったのである。小さい頃は<心身症>であったが、15歳から16歳ごろ、<統合失調症>の診断となった。それとともに、薬による影響や個性の表現の浮き沈みが大きくなり、合わない薬による症状が起きるようになっていた。

 同じ時期に、飯山も精神的な不安定さを感じるようになっていた。芸大に入ることが難しいのに、美術の道に進もうとしている自分に問題を感じるようになる。自分では良いと思っている絵を描いても、これでは芸大に入れないと講評で指摘される。高校1年の段階では、高校生活と美術系予備校の両立が楽しかった。しかし、2年生くらいになってから、美術予備校にも高校にもあまり行けなくなった。朝起きられなくなり、遅刻が増え、感情的になりやすくなった。2年生の夏から秋にうつ病だと診断された。学校から呼び出され、他の生徒に影響があるから学校をやめてくれと言われ、2年生の終わりに全日制の高校を中退することになった。夜間定時制の高校に行ったが、結果的には大検の資格を取り、一浪して、女子美術大学に合格した。

 飯山と妹双方の精神的な不安定性と、美術を学ぶことが持つ不安定さ。その二つの中で新しい美術の世界がはじまり、それとともに家族関係も変わっていく。

■美大の経験と新しい媒体との出会い

 女子美大の実技は保守的なカリキュラムだと飯山は感じた。一方で、座学である現代美術史やジェンダー論などが導入された現代アートの視点は面白かった。もの(● ●)ではなく出来事をつくるアートの導入であり、関係性の美術と呼ばれる傾向である。最初の一年間で受けたアジテーションは大きな影響を与えた。2年生くらいから、油絵だけでなく別の媒体で作品を作りはじめ、予備校でのトラウマ的な記憶が残っている絵画ではなく、自身が中立に扱える素材・方法として手芸と編み物を発見した。2年生になったときに、交通事故を編み物で表現したものが自身の記憶に残る作品である。 [ 図1 ]

carcrash
図1「carcrash」2008年

 自分の中でも「何か今までにみたことがないものを表現できたのではないか?」と思えたという最初の瞬間だった。一つは媒体の問題であり、描きたかったイメージを<編み物>という絵の具ではない別の手段を使って表現できるようになった。もう一つは自分が描きたかったものを描くことができたことである。これによって、自らが表現する広がりがある空間を作り出すことができた。 同じように、フェミニズムアートの影響を受けて、化粧落としシートに残った化粧品の痕跡をFRPという樹脂で固めて表現することなども行ってみた。 [ 図2 ]

cleansing sheets
図2「cleansing sheets」2008年

 その間、妹とは別居していた。この時期の妹は精神病院に入院することもあった。大学受験の時期から、彼女と一緒に暮らすことに自分の限界を感じていた。飯山が自宅で落ち着きたいときに、妹が症状を出してあばれたりすることが耐えられなかった。そういう病気を認めることができなかった。妹の体に出る症状が、親の気を引きたい、あるいは周囲の関心を集めたいという意味を持っていると考えていて、妹の行動はずっと演技ではないかと疑っていた。飯山は家庭のそのような場から逃げていた。妹の病気と関わることを避け、自分の興味や関心を引くことを学ぶことに必死だった時期であった。

 もう一つの大きなきっかけになったのが、渋谷の古本市でのスクラップブックとの出会いであった。その中には昭和16年から28年の間に新聞や雑誌に掲載された戦闘機や飛行機の写真が収集されていた。祖父の時代と重ね合わされる戦争の時代に作成されたスクラップブックである。これは、飯山にとって、自分自身と、親和性を感じる家族と、他者の無名性がからみあいながら、歴史にわけ入っていくきっかけとなった。スクラップブックは飯山の祖父が作ったものではないのだが、まるで祖父自身が作ったように思え、感情移入することができた。なぜ自分がそのように感じたのか、はっきりした理由は説明できないが、その物の匂いや佇まいが祖父の持ち物と似ていたからではないかと現在では考えている。それと同時に、他者性と出会うこともできた。スクラップブックの記録は他者の痕跡であり、そこで別の人の時間と自分の時間を重ねることができる。自分と、親密な家族と、匿名の他者、これらを通じて記録された事件の歴史と出会う仕掛けとなった。それを表現するためのインスタレーションの技術も重要な課題になってきた。

 その影響のもと、女子美術大学の卒業制作をした。それは、自らの家にあった使われていない農具やタマネギを使って表現されたものであり、それと同時に、他者のものによって構成された、自らの家族と他者が奇妙な縁で重なり合う作品でもあった。[図3]

無名の事故
図3「無名の事故」2010年

■東京芸大の大学院の世界

 女子美大に入って最初は美術の先生を目指していたが、結局教職の資格は取らなかった。飯山の選択は、アーチストになることであり、そのために大学院に進学した。いくつかの大学院を受け、その中で東京芸大の大学院に合格して進学した。意欲的に活動しているアーチストたちと知り合い、刺激を受け、自分の作品を発展させ、すぐれた制作者になろうという夢を持った。大学院在学中は他の学生がすでにギャラリーや公募展で発表をしていることに焦り、活動を広げていこうと公募展などに応募した。作品制作だけでなく、それを美術館やギャラリーなどの任意の空間に設置(インストール)することにも技術や訓練、知識が必要であり、アーチストにとって非常に重要であることをこの時期に痛感した。



飯山由貴さん
Photo by Shingo Kanagawa

ARTIST
飯山 由貴
IIYAMA Yuki


1988年神奈川県生まれ、東京都を拠点に活動。
個人の生活や経験、記憶をインタビューや記録物などを通してたどり、歴史や社会といった大きな文脈との関係性を見つめるインスタレーションを発表。
2015年、愛知県美術館にて個展開催。2016年「歴史する!Doing history!」(福岡市美術館)、2017年「コンニチハ技術トシテノ美術」(せんだいメディアテーク)出品。


告知

横浜トリエンナーレ2020 では、記事に関連する飯山由貴作品が展示される予定です。

展覧会横浜トリエンナーレ2020 公式サイト >>
会期2020年7月3日(金) – 10月11日(日) 木曜休
場所横浜美術館 横浜市西区みなとみらい3-4-1
プロット48 横浜市西区みなとみらい4-3-1(みなとみらい21中央地区48街区)
主催横浜市、公益財団法人横浜市芸術文化振興財団、NHK、朝日新聞社、横浜トリエンナーレ組織委員会