1. 社会的行為としての「食」
私たちがものを食べるという行為は、生存のために欠かせない「自然な」行為であると同時に社会的な行為でもあります。例えば、なにをどのように食べるのか、という食事のあり方は歴史的文脈や文化的な規範によって形づくられます。また、人間は特定の食品や食事の形式に特定の意味を与えたりもします。このような、食べることの社会的な側面に着目した、文化人類学や社会学、歴史学といった分野の研究では、人間は「なにをどのように食べるのか」、「なぜそのように食べるのか」などが問われてきました。
他方で、「食べない」という行為や、その行為が特定の社会において持つ意味についても社会科学的な関心が寄せられてきました。ここでいう「食べない」という行為とは、食物を入手することができ、また、摂食や嚥下といった身体の機能的な面に問題がないにもかかわらず、食べ物を大幅に制限したり食べること自体を拒んだりする行為を指します。こうした拒食行為は、ある特定の社会で頻繁に発生していた/していることが知られており、社会科学者たちは、なぜこのような現象が特定の状況において特定の集団内で流行するのか、また、その行為に込められた意味とは何なのかということを議論してきました。私もまた、拒食という現象に関心をもつ一人として研究を進めてきました。そこで今回は、中世のヨーロッパと、20世紀以降に先進国と言われる国々で顕著に生じた集団的な拒食行為と、その2つの関係性について考える視点をご紹介したいと思います。
2. 宗教的行為としての拒食
まず、中世ヨーロッパにおける拒食は、その行為が宗教的に高い価値を持つ集団の中で行われました。一般的に、世界に存在する様々な宗教のなかには、特定の食物に大きな意味が付与されたり、特定の食事の形式を重視したりするものが多々あります。また、食べ物を拒むことや、極端に身体を痩せさせることに宗教的価値や意味が見出されることもあります。その一つがキリスト教です。キリスト教に親しみの薄い人にも、禁断の果実としてのリンゴや、キリストの血としてのワイン、肉体としてのパンなどといった宗教的なシンボルとしての食物が知られているように、キリスト教には、食物や食べることと密接に関連した宗教的解釈が存在します。また、特定の食物を、いつ誰とどれくらい口にするのかということも宗教的に重要な意味を持ち、敬虔さを示す指標ともなりえます。中世ヨーロッパにおいて生じた集団的な拒食は、一部の敬虔なキリスト教信者や協会関係者によって行われました。
1300年代に行われた、このような拒食行為は、「聖なる拒食(holy anorexia)」と呼ばれました。圧倒的に女性の宗教者に多く、彼女たちは食べることを極端に制限することによって、自己の宗教的な価値を高めようとしました。代表的な人物として、オランダ・スキーダムのLidwina (1433年没) やイタリア・シエナのCatherine(1380年没)などが知られています(Bynum 1985)。このように、ある時期の女性のキリスト教信者の間で、非常に限られた量・種類の食べ物と水のみを口にし、同時に激しい修行を行ったとされる聖女たちは、集団的な拒食の代表例として知られているのです。
3. 精神的な病理としての拒食症
中世ヨーロッパに顕れた拒食行為が宗教的文脈に沿って解釈される一方で、近現代における人々の拒食行為は精神的な疾患として解釈されてきました。この疾患研究の黎明期において重要な業績を残したのは、イギリスの内科医William Gull(Gull 1874)とフランスの内科医Charles Laségue(Laségue 1873)です。特にGullの論文では、そのタイトルのなかに “Anorexia Nervosa” という表現がはじめて用いられました。この時期から「拒食症」という疾患概念が確立されるとともに、患者の存在が医師たちの間で知られるようになっていくのです。
精神的な疾患としての拒食症は、Sigmund FreudやPierre Janetといった著名な精神分析家の関心の対象ともなりました。また、精神分析的手法で、拒食症研究を特に大きく牽引した人物として、Hilde Bruchが挙げられます。Bruchは、拒食症の患者の家族関係やそれに起因すると考えられる患者の人格形成が、拒食症の発症に深く関わっていると考えました。彼女は、拒食症臨床に携わる傍ら、自身の臨床経験をまとめた書籍を出版することによって、拒食症という疾患を一般大衆にも広く知らしめた人物として知られています(Brumberg 1988)。なお、拒食症研究の黎明期における日本の代表的な研究者として、精神分析的アプローチを用いた精神科医の下坂幸三や、日本人を対象とした診断基準の作成や疫学的研究を進めた心療内科医の末松弘行などが挙げられます。