季節性インフルエンザワクチン接種―医療政策と接種習慣の日米比較 /ジュリア・ヨング(法政大学)

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 日米の医学と社会の歴史の中で、感染症がたびたび発生して広範囲に広がることは大きな特徴である。しかし、今では、有効なワクチンの開発により、伝染病による大流行は比較的まれな現象となった。また、科学や技術が大きな進歩をして、麻疹、ジフテリア、風疹などの感染症は、ワクチン接種で予防することができるようになった。ポリオや天然痘は、かつては患者に障害を与え、災難となり、場合によっては死も与えるような感染症であったが、現在では完全に撲滅された。そのような疾病はコントロールが可能であるが、それらの「ワクチン予防が可能な疾患」(vaccine preventable diseases, VPDs)が再び流行することを防ぐために、日米両国の医療行政機関によって、感染症予防教育が啓発され、定期予防接種が推進されている。各国の医療専門家の間では、感染を予防するには、ワクチン接種が最適な手段であることに関しては、異議なく共通認識を持つ。一方、 「いつ、どこで、どのワクチン株や種類を接種すれば良いのか」に関して、同一地域においても医療習慣の違いが見られる。その違いは、各国の医療行政や医療史を通じて大きな影響を受けている。日本とアメリカという二つの国家において、どのような違いをもつのか、考えてみよう。

 「定期予防接種」を受容するのは、主として乳幼児である。ワクチンを通じて、彼らの身体は免疫を獲得し、通常は生涯にわたって継続する。しかし、すべてのワクチンが、そのような長期的な有効性を持たない。また、ウィルスは常に突然変異をして、変異したウィルスに対応するため、研究者は新しいワクチンの開発に努力を注ぎつづける必要がある。季節性インフルエンザワクチンはそのような事例である。筆者はサバティカルをとり、アメリカのメリーランド州・ボルティモアにあるジョンス・ホプキンズ大学 (Johns Hopkins University, JHU)の医学部・医療史研究所を訪ねた。2018年の8月から2019年の6月まで所属となった折に、同大学の季節性インフルエンザワクチン接種の方針を観察する機会があった。ワクチン接種政策の中で特に顕著な違いと考える事例について論じよう。その違いを明確にするため、「米国の季節性インフルエンザワクチンの義務接種プログラム」と、「ドラッグストアにおけるワクチン接種」という2例を取り上げる。このエッセイでは、日米の医療政策の違いが、ワクチンの接種習慣の違いをどう生みだしているか洞察を提示してみよう。

サバティカルの初日
2019年8月にジョンス・ホプキンズ大学で撮影
サバティカルの初日
JHUの医学史研究所
JHUの医学史研究所

米国における季節性インフルエンザワクチンの義務接種プログラム

 私が米国のワクチン接種習慣の違いに最初に気がついたのは、JHUに着いてからすぐの時期であった。JHUでは、2012年以降、国立ワクチン諮問委員会 (National Vaccine Advisory Committee) の勧告に基づき、季節性インフルエンザワクチンの接種が義務付けられた。JHUから届いた電子メールによれば、キャンパスのいくつかの場所では医学部関係者スタッフ全員に無料でワクチン接種が実施されている。また、ワクチン接種の日程・締め切りと、医学上あるいは宗教上の理由でワクチンを回避したい場合にはその理由を申請することができる。接種を受けたスタッフとそうではないスタッフを明確に区別させるため、入校許可となる身分証バッジに青いクリップに付けられた。JHUのウェブサイトには接種率のような統計データが公開されていないが、大学の方針に従って、ワクチン接種を受けているスタッフの割合は高いと思う。私がジョンス・ホプキンズ大学に滞在している間、青いクリップを身分証バッジにつけていない事務課や医学部生も含むスタッフを一人も見たことはなかった。

 米国ではこれまでこのような強制ワクチン接種プログラムが、季節性インフルエンザワクチンに限らず、他の感染症に関しても一般的ではなかった。日本と同じように定期予防接種は「推奨する」ものである。今は学校における強制集団接種は行われていない。一方、定期予防接種率を高めるため、半強制的な方法は取り込まれるようになった。たとえば、多くの州が、小児が公立学校に入るときには、子供のワクチン接種を受けた証明書類あるいは医学上の理由による免除書類などが要求される。それらを提出しないと入学を認めないと定めた。このような規則があるため、いわゆる「ワクチン反対派」が子供を家で教育し、ワクチン接種を回避しているという現象がおきる。また、医療行政側は、医学部を持つジョンス・ホプキンズ大学や米軍のような大きな組織に関して、リスク因子分析を配慮している。さらに、特定の疾病に関してはワクチン接種を要求する場合もあるが、その必要性には職種や疾病への感染リスクによって違ってくる。たとえば、JHUの医学部や病院のスタッフにおいては、患者と接触するため、患者に感染される・患者を感染させるリスクが常に高いため、季節性インフルエンザワクチンを受ける必要がある。さらに米軍で世界の特定の地域に配置される場合には、炭疽病や黄熱病のようなワクチンを受けなければならない。

 2012年以降、ジョンス・ホプキンズ大学付属病院のような大きな医療機関において季節性インフルエンザワクチン接種を義務付ける決定には、米国政府のリスク因子分析がもっとも重要な要因であろう。また、その背景には、1984年の疾病管理予防センター (CDC, Center for Infectious Disease Control and Prevention) の勧告があった。それは、インフルエンザの感染による合併症のリスクが高い高齢者はワクチン接種を受けるように定めた。したがって、65歳以上の高齢者、それに、60歳以上の老人ホームの在住者、すなわちリスクの高い人々がそれに含まれていた。その政策決定には、このようなリスク因子分析だけでなく、欠勤費用のような経済的分析も重要な要因を担った。

 それに対して、日本は、違う医学と社会の歴史を持つため、JHUでおこなわれた強制的な季節性インフルエンザワクチン接種プログラムのような取り組みは存在しない。もちろん、雇用者の中にはワクチン接種を強く推薦して、その費用を一部負担するという財政的な奨励として使っているケースはある。しかし、日本の公衆衛生政策の基盤は、占領期である1947年に最初に提出された予防接種法であり、方針はそれに定めている法律を反映している。費用対効果のような経済的分析に関して、ワクチン接種の政策決定に配慮するようになったのもごく最近である。

 日本における公衆衛生の権威は、季節性インフルエンザワクチンについて、そのような受動的な態度をいつでもとってきたわけではない。1970年代半ばには、日本は世界で初めて小児を対象にした大規模なインフルエンザワクチンのプログラムを実施した。しかし、1994年には、インフルエンザワクチンの有効性などに関して否定的な見解が大きな力を持つようになり、一部の医師や世論による批判が日本の医療政策に大きな影響を与えた。予防接種法の中に小児向けの定期接種ワクチンとして入っていた季節性インフルエンザワクチンは、予防接種法から削除された。

 一方、1990年代後半になると、政策に大きな影響力を持つ問題が起きた。1997年と1998年に日本のいくつかの老人施設でインフルエンザの流行があり、合計で250人ほどの高齢者の在住者が死亡した。それはワクチン政策が見直されるきっかけになった。その結果、2001年に予防接種法が改正され、65歳以上の高齢者はインフルエンザワクチンを接種すること、60歳から64歳の高齢者でも、一定の慢性疾患にかかっている場合には、同じように接種の条件が加わった。先の事例のように、2009年にH1N1インフルエンザが流行した時期においても、人々がワクチン接種に持つ意識は高まった。その結果、日本のいくつかの地域や都市で患者の罹患率が特に高い場合には観光旅行業が衰え、インフルエンザの流行が終わった後でも、その衰退が継続するという社会現象が起きたほどの、大きな出来事であった。

公衆衛生の調節者としての地元のドラッグストア

 二番目の観察は、インフルエンザワクチン接種を提供している数多くのドラッグストアという現象である。アメリカ人にとってドラッグストアは、日本全国に遍在するコンビニエンスストアにあたる。つまり日本のコンビニと同じように、顧客数が非常に多く、一般に毎日24時間営業である。利用者にとって、ドラッグストアは、医師の処方せんに対して調剤を受ける場所だけでなく、ミルクや化粧用品、その他の日用品を買う場所でもある。それに加えて、最近、定期接種を受ける場所にもなった。1995年以降、州によって薬剤師が比較的に短期間の研修を受ければインフルエンザのワクチンを接種してよいことになった。現在では、50の州の総てにおいて、薬剤師が季節性インフルエンザワクチンを接種することが許されており、さらにその中において、定期接種ワクチンも薬剤師によって接種してよいのである。

typical US drugstore
アメリカのドラッグストアの典型的な姿

 もちろん州ごとの法律に違いがあるが、全体的に言って、薬剤師によるワクチン接種の範囲は広がっている。実際、いくつかの州では、HPV(ヒトパピローマウィルス)、B型肝炎、肺炎のワクチン接種をドラッグストアで薬剤師が与えてもよい。このように1990年代半ば以降、米国の規制当局は、よりよい公衆衛生環境を提供するため、規制緩和を行い、薬剤師による医療行為の範囲を拡大することにした。それによって、薬剤師が米国の公衆衛生体制においてより大きな役割を果たすことを認めるようになった。

 日本では、薬剤師の役割は近年において発展はしているとはいえ、現時点、医師が交付した処方せんを調剤し、患者に副作用などの重要な情報を提供することに限定されている。米国で起きている薬剤師によるワクチンの接種は、日本の薬剤師が行うことはまだ許されていない。理由はさまざまであるが、日本の医療環境の違いは理由の一つであろう。日本は、米国と較べて、診察所は特に都市部に多い。また、診察所な場合、診断を待つ時間は比較的少ないため、日本でワクチン接種をすることは容易である。したがって、日本では、米国のように薬剤師による接種政策の導入は不必要であり、将来的に実施する可能性が低いように思われる。

まとめ

 このエッセイは、日米におけるワクチン接種に関するいくつかの医療習慣の違いを比較した。 一つのメッセージは、両国政府は、健康被害のリスクが高い人ほど感染症の拡大を防ごうとしているのは共通点である。しかし、上で見たように、この目標を実現するため、手段は大きく異なる。米国政府は、大規模の医療機関などにおける義務つけ接種プログラムを推進し、それに規制緩和により薬剤師の公衆衛生体制における役割を拡大させることが、重要な事例であった。

 日本が1947年に感染予防法の導入以来、米国におけるさまざまな政策決定や改正を観察し、それらは日本のワクチン政策に大きな影響を与えてきた。その中で特に良い成果をもたらした政策を大いに参考にしたであろう。一方、強制的なワクチン接種プログラムの設置、医師以外によるワクチン接種、医療機関以外におけるワクチン接種のような政策の導入は、実現する見込みは薄い。日米両国それぞれの医療環境や感染症の種類の発生率が異なる限り、「いつ、どこで、どのワクチン株や種類を接種すれば良いのか」のような医療習慣が一つになっていくことは実現しないであろう。

参考文献

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http://www.uncrd.or.jp/content/documents/2549BMA%20Training%202015%20-%20Tourism%20Policy%20of%20Kyoto.pdf#search=%27outbreak+of+the+H1N1+virus+Japan+tourism%27

Julia S. Yongue
ジュリア・ヨング
法政大学 経済学部 教授


 東京大学の大学院総合文化研究科・国際関係論コースに入学し、日本の製薬産業と医療政策の歴史を研究した。
 2003年の11月に博士号(学術)を取得。2006年に法政大学経済学部教授となり、日本の企業と社会の歴史等を教えている。日本の製薬産業の歴史研究を続けながら、医療行政がどのように製薬産業に影響を与えたかを分析。日本における臨床治験、明治初期の産学関係、ワクチン産業などの論文を発表した。最近は漢方製剤産業について調べている。