戦前の私立精神病院が遺した記録たち―王子脳病院・小峰病院・小峰研究所― /清水 ふさ子(慶応義塾大学)

はじめに

 私はアーカイブズ学を専門とし、アーキビストとして慶應義塾大学で精神病院関連資料の分析と目録作成を行っています。
 アーカイブズ学では、アーカイブズ(記録資料とそれを所蔵する館の2つの意味がありますが、ここでは記録資料を指します)とは「長く残す価値のある記録資料」のことを指し、いわゆる公文書のみに限定されるものではなく、さらに媒体も問いません。粘土板やパピルス、フィルムであれ、記録されたものであれば立派なアーカイブズです。そして資料1点1点の内容より、「資料群」の構造に着目し、資料を生み出した組織の機能や役割を分析することもアーカイブズ学の特徴です。この考え方に沿って、私がいま取り組んでいる(財)小峰研究所が所有する資料群(通称:小峰資料群)をご紹介したいと思います。

組織の歴史

 小峰資料群は「王子脳病院」「小峰病院」「小峰研究所」の3つの組織で作成された記録を主としています。王子脳病院(写真1)は1901年に現在の東京都北区西ヶ原に設立された精神病院で、1925年に同敷地内に小峰病院(写真2)と、付属研究機関の(財)小峰研究所が設立されました。この組織の発展に大きく寄与したのが1908年に医院長となった小峰茂之 (1883-1942)です。東京帝国大学で医学を学び、米フィラデルフィアのウィスター研究所にて神経系の研究を修めた彼は、当時としては最先端であったマラリア療法、インスリンショック療法、電撃療法などを意欲的に導入しました。王子脳病院は1920年、東京府によって、精神病院法(1919年)で定められた「代用精神病院」に指定されます。一方で写真からも分かるようにコンクリート建てのモダンな作りの小峰病院は、精神科だけではなく、内科、放射線科もそなえ、比較的裕福な階層の患者も受け入れられる施設でした。作家の宇野浩二が、斎藤茂吉の紹介で小峰病院に入院したことでも知られています。二つの病院の病床数は合わせて400床を超え、東京では知名度の高い、大規模な私立精神病院であったと言えるでしょう。
 ところが、1945年4月に現在の北区や豊島区が爆撃を受けた城北大空襲により、木造建てであった王子脳病院は全焼し、コンクリート建ての小峰病院は避難場所になりました。両病院ともに運営続行は難しく、その後廃院となります。小峰研究所は戦後、長らく活動停止状態にありましたが、後継者である小峯和茂氏(茂之の孫であり、現小峰研究所理事長)の尽力により1985年に再認可を受け、現在も存続しています。
王子脳病院外観(1920年ごろ)
写真1 王子脳病院外観(1920年ごろ)
小峰病院外観(1925年ごろ)
写真2 小峰病院外観(1925年ごろ)

小峰資料群の内容について

 爆撃による被災や、その後の廃院と建物の建て替えなど、資料にとってさまざまな試練がありましたが、それでも関係者の努力によって今日まで相当な数の資料が残されました。まだ整理途中ではありますが、分量はA4サイズの中性紙箱で250箱を数えます。その内容はカルテなどの医療記録にとどまらず、じつにさまざまな種類の記録が残されており、それがこの資料群の奥深さと魅力につながっています。
 小峰資料群は大きなカテゴリとして(1)医療記録、(2)組織管理記録、(3)研究資料、(4)個人資料の4つに分けられます。(1)医療記録はカルテ類を含む症例誌や、検査記録などです。(2)組織管理記録は、病院の経理関係書類や職員の出勤簿など。(3)研究資料は小峰研究所の行ってきた精神医学を中心とした研究や、昭和13年滝野川健康調査の記録、(4)個人記録は創立からこの組織を支えたオーナーである小峯家の人々の個人活動に関する資料です。
 ここではこの資料群の中から、(3)研究資料(以下「研究資料」)の一部をご紹介します。

小峰茂之の研究の軌跡

 小峰研究所は当時の医院長小峰茂之によって設立されました。1924年から1940年にかけ、研究紀要を英語版2巻、日本語版7巻発行しています。この「研究資料」群は茂之による研究紀要の元原稿、収集物などが中心です。彼は精神医学に迫る中で、精神疾患の背景にあるもの、またはその周辺の事象を医学的かつ歴史的に考察しようとしました。具体的には、自殺、心中、憑き物、妖怪などです。
 妖怪研究に関する収集物では、『稲生平太郎物語』という文献が残されています。(写真3)この物語は現在の広島県三次市の稲生武太夫が1749年(寛延2年)の夏に実際に体験したという怪異談をまとめた「稲生物怪録」が元となった読みものです。小峰研究所印の押された付箋には「奇怪なる幻視や皮膚幻覚の例」と書かれ、怪奇現象と呼ばれるような事象を神経障害の疑いを持って分析している様子がみられます。(写真4)
『稲生平太郎物語』(出版年不明)
写真3 『稲生平太郎物語』(出版年不明)
写真4
写真4  

 加えて、茂之が大きな関心を寄せたテーマが自殺や心中でした。大正から昭和にかけて親子心中が社会問題化したことも背景にあるのでしょう。茂之は生涯で77本の論文・著書を発表していますが、そのうち19本は自殺関連のものです。このテーマに関する彼の論考は今でも以下のように評価されています。

 戦前における親子心中の研究でもっとも重要な著作と言えば(中略)1937年(昭和12年)に公表された小峰茂之著「明治大正昭和年間に於ける親子心中の醫學的考察」(小峰研究所紀要邦文第五巻)であろう。本文146ページにわたる本格的な論考は、戦前戦後を通じても特筆すべきものであった。

(子どもの虹情報研修センター「平成22年度研究報告書 「親子心中」に関する研究(1) ―先行研究の検討―」2頁より)

おわりに

 アーキビストとは、このような一見雑然としているように見える資料群を整理分析し、当時の組織や人物の役割・機能を明らかにしつつ目録化すること、それを適切に公開するところまで持って行くことが役割であり使命です。現時点ではまだこの一連の作業中ではありますが、小峰資料群に残されていた茂之の研究記録の一端をご紹介しました。今後も調査を進め、資料群の全体像が見えてきたときに、茂之が目指していた精神医療のすがたがより鮮明に見えてくることでしょう。そして、1942年の茂之亡きあと、激化する戦争の中で、この組織や関係者がどのような困難を経験したかについても、資料を通して明らかになるのではないかと思います。

参考文献

水上勉『宇野浩二伝』中央公論社、1973年
杉本好伸編『稲生物怪録絵巻集成』国書刊行会、2004年
子どもの虹情報研修センター編『「親子心中」に関する研究 : 平成22年度研究報告書』横浜博萌会子どもの虹情報研修センター、2010年
小峰 茂之、南 孝夫『同性愛と同性心中の研究』牧野出版、1985年

 

清水 ふさ子 (しみず ふさこ)

 慶應義塾大学 社会学研究科 研究員。
 日本アーカイブズ学会登録アーキビスト。専門はアーカイブズ学で、企業を中心とする組織アーカイブズを研究しています。かつては企業博物館で展示、運営管理、収蔵庫管理などの学芸業務を行っていました。その中で、博物館学では対応できない記録史料(アーカイブズ)の取扱いに大いに悩みます。その問題意識からアーカイブズ学の道に進みました。学習院大学アーカイブズ学専攻博士後期課程在籍。
 主な業績「企業資料における経営者関係資料を読み解く─資生堂企業資料館「福原信三」資料の分析とISAD(G)記述の適用から」(『GCAS Report 学習院大学大学院人文科学研究科アーカイブズ学専攻研究年報』Vol. 6、2017年2月、32 – 58頁)