ドイツ語圏の医学史博物館めぐり /梅原 秀元(慶應義塾大学非常勤講師)

 明治時代を代表する作家で陸軍軍医でもあった森鴎外や、結核菌を発見した細菌学者のロベルト・コッホの最も重要な研究パートナーだった北里柴三郎が医学を学び研究した地が、ドイツのベルリンでした。鴎外も北里も、ベルリン大学(現在のフンボルト大学)医学部で当時最先端と言われたドイツの医学を学びました。医学部キャンパスは、現在も、ベルリン中央駅から徒歩10分ほどのシュプレー川沿いの当時の敷地にあり、「Charité(シャリテ)」の呼称で親しまれています。

 ところで、コッホより少し前から活躍した、ベルリン大学医学部、そして当時のドイツを代表する医学者にルドルフ・ヴィルヒョウがいます。彼は病理学を中心に医学に偉大な足跡を残しました。彼が研究活動を行っていた病理学教室の建物に、現在、フンボルト大学医学部医学史博物館が入っています。建物は第二次世界大戦で大きな損害をうけたものの、ヴィルヒョウや後の時代の標本を所蔵し、ベルリン大学医学部だけでなく、医学全般の歴史について常設展示・特別展示を行うとともに、医学史研究も盛んに行っています。
フンボルト大学医学部医学史博物館
フンボルト大学医学部医学史博物館(撮影 梅原)

 さて鴎外は、ベルリンに来る前に、まずライプツィヒ大学医学部で学び、その後、軍医学講習会に参加するために、1885年にザクセン王国の首都ドレスデンに半年ほど滞在しました。このドレスデンで1911年に、国際衛生博覧会が開催されました。ドイツの医学・衛生学の素晴らしさが世界中に喧伝されるとともに、世界中の医学・衛生学の展示が行われ、日本も参加しました。この時の敷地に建つのが、ドイツ衛生博物館です。ドレスデンの市街から少し離れた広い敷地の中にあり、衛生博覧会や医学・衛生学についての常設展示とともに、様々なテーマの特別展示が開催されています。それと並んで、図書館と文書館を持っていて、ドイツの医学史研究には欠かせない博物館になっています。近年は、ドイツ以外の国の医学(史)博物館との共同展も開催され、例えば、2008年にイギリスのウェルカム・ユニットと共同で「戦争と医学」をテーマにした展示が行われました。
ドイツ衛生博物館
ドイツ衛生博物館(撮影 梅原)

 ドレスデンを後にした鴎外は、ミュンヒェン大学に移り、マックス・フォン・ペッテンコーファーのもとで公衆衛生学を学びました。このバイエルン州の州都ミュンヒェンからほど近いところに、インゴルシュタットという街があります。1472年、バイエルン王家がこの地に大学を作りました。ナポレオン戦争後の1826年に大学はミュンヒェンに移り、鴎外が学び、現在ではドイツや欧州、世界でもトップクラスの研究水準を誇るミュンヒェン大学となりました。

 インゴルシュタット大学には、開学当初から医学部も設置されました。しかし、医学教育を行うのに十分な設備が整っていませんでした。ようやく17世紀後半に、薬学のための植物園と解剖学のための校舎がつくられ、18世紀初頭には、解剖学講堂を核とする医学部棟ができました。大学がミュンヒェンに移った後も、この建物と植物園は残っていました。1950年代に取り壊しの危機を迎えましたが、インゴルシュタット大学創設500周年の記念事業の一つとして、旧医学部棟と植物園は医学史博物館として生まれ変わりました。博物館は、民間や医学史博物館財団の尽力で、古い時代の解剖学や、医療技術を中心にドイツで最も充実したコレクションを誇っています。こうしたコレクションに基づく常設展示、そして様々なテーマによる特別展を通じて、医学史の普及と研究に大きな貢献をしています。

 さて、ドイツ語圏の学術・文化を考える上で、いわゆるドイツだけをみるだけでは十分とは言えません。治療時における消毒の重要性を発見した医師ゼンメルヴァイス、精神分析を確立したジークムント・フロイト、戦後直後の名作で抗生物質も絡んだミステリー映画『第三の男』で有名なウィーン、そしてオーストリア帝国を忘れるわけにはいきません。ヨーロッパ大陸の医学の歴史でも、18世紀から19世紀にかけてパリ大学と並んで重要な位置を占めていたのがウィーン大学医学部でした。

 現在、ウィーン大学医学部は、ドイツ語圏の医学史研究でも重要な位置を占める医学史博物館 „Josephinum“ (ヨゼフィヌム)を持っています。「ヨゼフィヌム」は、ハプスブルク帝国皇帝で啓蒙専制君主の一人、ヨーゼフ2世が1785年に設立した陸軍医学・外科学アカデミーがもとになっています。アカデミーや、ヨーゼフ2世がパリ病院をモデルに創設したウィーン総合病院(1784年)、ウィーン大学医学部などによって、ウィーンはヨーロッパの医学の重要な中心地の一つになっていきました。

 ウィーン大学医学史博物館「ヨゼフィヌム」は、ヨーゼフ2世がこのアカデミーのためにフィレンツェで注文した約1200個の解剖学と産科の標本モデルやウィーン大学医学部の収蔵品と並んで、15-18世紀の医学書や医学に関わる様々なコレクションをもつ図書館、文書館をもっています。これらをもとにした常設展示・特別展示や医学史研究を通じて、医学の歴史へと人々をいざなっています。



各博物館のホームページ
フンボルト大学医学部医学史博物館 (英語)
ドイツ衛生博物館 (英語)
ドイツ医学史博物館 (ドイツ語のみ)
ウィーン大学医学史博物館 („Josephinum“)  (英語)