読みながら考える―『麦ばあの島』にみるハンセン病と家族関係、そして教材としての可能性<前編>
/田中キャサリン(大手前大学)

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 2001年、ハンセン病に関する医療政策が人権を侵害したと主張する元ハンセン病患者のグループが、日本政府に対して起こした訴訟に勝訴しました。この勝利は、ハンセン病療養所入所者達の何十年にも及ぶ社会的、政治的活動の集大成でした。しかし、入所者の親族による近年の訴訟が示すように、日本の政策に起因するトラウマは現在も続いています。2001年の判決の結果、「絶対隔離」と元患者たちの国家による人権侵害への抵抗の物語は、強固なものとなりました。今日主流となっているこの見方を複雑にしている要因には、日本のハンセン病問題にまつわる文化的記憶の形成と和解のプロセスが関係してきます。さらに、そこでの文学の重要性は明らかであり、入所者から次世代への物語の継承は不可欠ですが、その際、しばしばこれまでの経緯が見過ごされています。
 ハンセン病療養所の入所者の高齢化が進むにつれて、かれらが懸命に保存に努めてきた証言や経験ないし記憶は、当事者としての体験をしたことがない作家に取り上げられ、人気のあるポップ・カルチャーの小説や漫画の題材になっています。それらの作品は入所者の体験を過度にセンセーショナルに描くことが多く、場合によっては批判の対象になってきました。しかし、このように特定の部分を強調することによって、証言や記録が物語にどのように借用され、再解釈され、より幅広いナショナルな言説へと統合されているかという問題が見落とされています。
『麦ばあの島』

 今回は、ハンセン病の経験をフィクション化した近年の作品二編を紹介します。ひとつは、古林海月作・画(蘭由岐子監修)の全4巻の漫画、『麦ばあの島』(すいれん舎、2017年)です。そして、それと共通点も多いドリアン助川の『あん』(2015年;Alison Wattsによる英訳 Sweet Bean Paste, Oneworld Books, 2017年)も少し参考にしていきたいと思います。この二つの作品は、物語を通じて大きな意味合いを共有しています。どちらも、女性のハンセン病療養所入所者の話を、ほかの登場人物の二人に伝える構成にしています。『あん』の場合は、入所者の徳江が、中年の男性でどら焼き店の店長をしている千太郎と中学生の少女であるワカナに自分の物語を語ります。『麦ばあの島』もまた、女性の入所者である上原麦が物語の主人公です。このマンガでは、上原麦は聡子としおりの姉妹に自分の体験を語ります。
 これらの2つの物語には多くの共通点が見られます。たとえば、どちらの場合も、著者は何年も療養所を訪問し、入所者との長時間にわたる会話に基づいて書かれたものなので、これらの物語のなかのハンセン病の体験と社会的差別の描写は、確実に細かなニュアンスを捉えているといえるでしょう。そして、繰り返しになりますが、どちらも物語の構成は、入所者が一般社会の人々に自らが生きてきた体験を話すという形になっています。
 しかし、共通点はこれだけではありません。いずれの物語も、擬似的な家族に対して入所者が語るのです。つまり、どちらの話も、女性の入所者が血縁ではないつながりによって形成された擬似的な家族に自分の話を伝えます。『あん』の場合は、社会的な「隔離」(social isolation)という体験を通じて、登場人物たちは家族としての感覚を共有します。療養所で隔離された徳江、元受刑者の千太郎、崩壊家庭から抜け出せずにもがいている女子中学生ワカナが登場します。一方『麦ばあの島』では、ハンセン病と「隔離」の問題を取り扱っているというよりはむしろ、子供のいない母親や女性性とは何かといったテーマが、三人の主人公を結びつけるものとして描かれています。
 『あん』には他にも注目すべきところが非常に多く興味深いのですが、今回は『麦ばあの島』に注目し、この漫画が、ハンセン病研究だけでなく、家族構成や「母性」に関するより幅広い社会的な議論に結びついていることに焦点を当てたいと思います。この漫画の舞台は1996年、姫路市に設定されています。第一章で、大学生である聡子が産婦人科クリニックで中絶手術を受けるところからこの物語が始まります。それと対照的に、不妊治療を受けて子を宿そうとしているのが、聡子の姉のしおりです。そして、そのクリニックの隣で美容室を経営している上原麦、「麦ばあ」が登場します。
 全4巻にわたって、麦ばあは自分の体験を聡子としおりに語ります。幼いころに発病し、ハンセン病と診断されたこと、家族との別れ、そして隔離の体験も語ります。麦ばあの経験と彼女が出会った人々の経験を通じ、私たちは、日本におけるハンセン病の歴史を個人の経験と絡めて学ぶことができます。 そして、私たちは日本のハンセン病に関する法律や、台風によって破壊された大阪のハンセン病療養所、外島保養院のことを知ります。そして、語りを通して、麦ばあのいた施設、岡山の邑久光明園の歴史について学びます。しかし、ここでは、ハンセン病の法的、医学的、社会的経験は、つねに個人の語りと共通の経験に基づいて表現されています。読み進めるにつれ、麦ばあとその姉がどのように家族の絆を維持し、弟との関係が変化したかが丁寧に描かれています。この漫画は、園の内・外の関係性を慎重に、そしてさまざまな視点から伝えていきます。麦ばあの話がすすむにつれ、夫との出会いや、恋に落ちた時の話、結婚、そして妊娠へと、物語は展開していきます。しかし、療養所内での妊娠・出産は許されなかったために受けた強制妊娠中絶手術の話などを巧妙に織り交ぜて、作者はこれらの複雑なテーマを描きます。

麦ばあの島

 物語が展開するにつれて、読者は、麦ばあ、聡子、しおりそれぞれの物語に引き込まれ、ハンセン病と結びつける形で現代の社会問題、すなわち生殖や様々な形の「母性」、そして「家族」とは何かを問われます。この漫画の良いところは、社会問題と家族関係に鋭く切り込みながらも、その社会問題に容易な解決策を示さないところです。結局、読者自身がその意味を解かなくてはなりませせん。
 一つの例を見ていきたいと思います。この物語は、妊娠中絶や流産などによって、子供を持たない母親となった経験から構成されています。聡子の場合は中絶を自ら選び、しおりの場合は流産を経験します。そして麦ばあの場合は、強制された妊娠中絶で子供を失いました。生まれてこられなかった子供たちの身代わりである地蔵は、それぞれの女性が子供を授かっていながら全員が子供を喪失したという点においてつながっているのだということを明示する存在でもあります。選択によって、強制によって、または自然の法則によって、三人の女性はそれぞれ子供を失いました。失われた子供を中心におくことで、この物語は、ハンセン病政策と、出生率の低下や不妊症の増加、家族の問題などの社会的課題を強く結びつけるのです。
 しおりは流産後、死産児を抱きかかえた時のことを「あそこにいる間だけ私は母親になれた」と述べます(171、4巻)。そして、その話を聞いて、聡子は「麦ばあもお姉ちゃんも母親だったんだ」と悟りました(173、4巻)。そして、聡子は他の二人には無かった選択肢を自分は選んでしまったと自分自身を責めるのですが、麦ばあは、ただ「ちがわへんよ」と言います(178、4巻)。「一人だけどひとりやない あんたもお母さんなんやで」(183、4巻)。 そして最後に、聡子は失った子供を表す地蔵を「小麦」と名づけます。「あたしの子供なら 麦ばあのひ孫みたいなものだから」と(193、4巻)。失われた子供たちによって、子供がいない母親である彼女らは、家族として結びつきます。
 子の不在に加えて、彼女たちはお互いの物語を知ることによって絆を深めます。ハンセン病療養所を出た麦ばあが、近隣地域に美容室の広告を出したため、彼女の弟が怒って美容室に現れ、「あんたは死んだはずの人間やろ」と言います(130、4巻)。これを聞いた聡子は「何も知らんし関係ないし他人だけど!あんたよりよりよっぽど身内だもん!」(132、4巻)「たとえ弟でも麦ばあをいじめたらゆるさへんで」と言います(134、4巻)。ここでの家族とは、血縁ではなく、共通の体験に基づいた絆で結ばれた関係です。麦ばあが弟の髪を切りながら子供の頃の記憶を蘇らせる場面で、このことは強調されています。そして、現在の二人の関係を修復する可能性をも示唆しています(137-152、3巻)。
 ちなみに、この漫画は、聡子が大人へと成長してゆき、家族の重要性を学ぶこともテーマになっています。この物語は、幅広い層に訴える、豊かで多元的な要素を含んだ二重構造の物語になっているのです。ハンセン病の話題は物語の中心でありつつ、それが生み出す接点はハンセン病だけでなく、日本の女性や家族の在り方について問うているため、この漫画は驚くほど豊かで重要な物語になっているのだと思います。
 このような物語を、今を生きる私たちはどのように受け止めるのでしょうか。後編では、この本を教材として使った経験についてお話してみたいと思います。

参考文献

荒井裕樹『隔離の文学 : ハンセン病療養所の自己表現史 』書肆アルス、2011年
蘭由岐子 『「病いの経験」を聞き取る:ハンセン病者のライフヒストリー』[新版] 生活書院、2017年
河瀨直美 (監督) 『あん』2016年
ドリアン助川『あん』ポプラ社、2015年
廣川 和花 『近代日本のハンセン病問題と地域社会 』大阪大学出版会、2011年
古林海月 (著), 蘭由岐子 (監修) 『麦ばあの島』すいれん舎、2017年(全4巻)
Sukegawa Durian, Sweet Bean Paste. Translated by Allison Watts. Oneworld Publications, 2017.

田中 キャサリン (たなか キャサリン)

田中キャサリン
 大手前大学総合文化学部講師
 2012年にシカゴ大学にて博士号(日本文学)を取得した後、2014年に大手前大学の講師になりました。ハンセン病文学を専攻し、特にハンセン病文学におけるコミュニティーの感覚について研究してきました。療養所における「マイノリティ」の経験に興味があり、今までに女性の描写や子供の経験についての論文を発表してきました。現在、ハンセン病文学についての書籍「Through the Hospital Gates: Community in Japanese Hansen’s Disease Literature」の出版準備を進めています。