東京都立松沢病院での「私宅監置と日本の精神医療史」展-企画・展示者としての舞台裏からの報告- /橋本明(愛知県立大学)
2014年度から「歴史理解にもとづく精神保健福祉教育プログラムの開発」という研究をはじめた。その一環として「精神医療ミュージアム移動展示プロジェクト」なるものを行っている。
構想の初期段階で、精神保健医療福祉関係者の何人かにこのプロジェクトについて意見を聞いてみた。「それはいいですね、歴史は大切ですからね」という、好意的な反応は返ってくる。けれども、展示会場を引き受けてくれ、協力してくれるかと迫れば、「精神医療の歴史を表に出すことは、偏見をむしろ助長する」などの理由で断られる。見学者としてならいいが、積極的には関わりたくない、蒸し返したくない過去には蓋をすればいい。そういうことなのか。小さな展示会でもいいから、歴史を通じて精神医療や精神障害についてみんな考える、語る、そういう場をつくりたいだけなのだが・・・
そんな愚痴話を、私の勤務先大学に在籍している韓国出身の大学院生に話した。すると、「韓国でやったらいいですよ」という。あっという間にソウルでの打ち合わせが実現し、それから3か月後の2014年11月中旬にソウルの人権団体が所有するビルのギャラリーで、記念すべき第1回の「精神医療ミュージアム移動展示プロジェクト―私宅監置と日本の精神医療史」展を行う運びになった。あまりに不思議な展開に、自分自身が驚いていた。
ところが、不思議なことはこれで終わらなかった。展示会の存在を知った人たちから、「次は私のところでどうですか」と、展示会開催オファーの連鎖が続いたのである。それで、第2回(東京・ワセダギャラリー)、第3回(大阪・船場ビルディング)、第4回(岡山・カイロス)、第5回(豊橋・岩屋病院)と、各地で文字通り移動展示が実現した。それぞれ、まったく性格の異なる会場であり、まったく異なる「客層」を迎えることになるのだが、それがとても刺激的だった。
そして第6回目の松沢病院にたどりついた。松沢病院はわが国の精神医療史の大舞台である。ここで展示会を実現できれば、「歴史理解にもとづく精神保健福祉教育プログラム」という点では申し分ないし、一般の市民の人たちが、精神科病院の敷地に足を踏み入れることができる絶好の機会になると考えた。とくに「松沢病院」のインパクトは大きい。
今回に限っては、私から松沢病院側に展示会の開催を申しかけた。海のものとも山のものともわからない、ソウルでの展覧会からはじまって、ある程度、展示方法のノウハウが蓄積し、展示実績を示すことができる状態になってきたからである。しかし、その交渉過程は必ずしもスムーズなものではなかった。当初予定していた、松沢病院の資料館での開催はできなかったし、開催予告で資料館見学に言及することもできなかった(ただし、結果として資料館見学も可能になったので、来訪者には満足してもらえたのではないかと思う)。公的な施設、しかも精神科病院なのでやむ得ない部分もあるだろう。とはいえ、展示会開催にともなうさまざまな不測の事態は、乗り越えるべき/乗り越えられる試練と考えている。
ところで、今回の展示方法で注意を払った点は、できる限り「アート・スペース」に近づけたいということである。病院側が用意した「木工室」にはパネルを貼る場所がなく、白々とした蛍光灯の無機質な光線も気になった。過去の展示会ではギャラリー・スペースが多かった。が、今回の部屋は展示場所としてはあまり相応しくない。そこで業者からパーテーションと照明器具をレンタルした。また、予算の関係で、限られた数のパーテーションと照明をどう配置するか、写真パネルをどういう間隔で貼り付けるかといった細部に少々頭を悩ませた。事前の下見で撮影した会場の写真をもとに、簡単なミニチュアを作ってあれこれ考えたが、実際に現場で物品の搬入作業をおこなってみないとわからないことが多かった。
普段の木工室
展示会開催中の木工室
今回の展示会では、一部の写真パネルに説明パネルを付けた。
また、展示内容は「私宅監置と日本の精神医療史」であるが、日本の精神医療史の教科書的な解説に終わるのではなく、私宅監置に関わる近年の研究成果をも盛り込み、専門家ではない来訪者にも「研究の現在」を少しでも伝える努力はしたつもりである。
たとえば、上のパネルは一次的な資料を使って私宅監置手続きの実際を解説している。
こうした具体的な事例を示すことが、私宅監置のような事象を来訪者に理解してもらうには重要と思われる。その意味では、映像資料、写真資料が展示効果を一層高めることは言うまでもない。ただ、以上で述べたことは、今回の展示会に限ったことではなく、これまでも注意してきたことではある。
第2回の展示会からギャラリートークを導入した。今回も、開催日である2016年9月2日・3日・9日・10日のすべてで、午前10時30分と午後2時30分から30分程度のギャラリートークを行った。
ギャラリートークの目的は、展示の内容を分かりやすく、かつパネルでは読み取れないかもしれないニュアンスを正確に説明することである。また、この場面で、来訪者と直接的な対話ができることがうれしい。ギャラリートークでは、私宅監置に関するさまざまな見方を紹介したつもりだが、それに呼応するように、「私宅監置の見方が変わった」という意見も多く聞かれ、これは主催者側としては狙い通りだったと捉えている。
最後に、過去の展示会でも同様だが、来場者と話しながら強く感じたことは、専門家・非専門家に関わらず、多くの人にとって、精神医療や精神障害の歴史は、未知の領域だという事実である。それにもかかわらず(あるいは、それゆえにか)、展示に深い関心を寄せてもらったことに、主催者側として深い敬意を表したい。
9月10日(土)午後2時30分スタートのギャラリートーク
構想の初期段階で、精神保健医療福祉関係者の何人かにこのプロジェクトについて意見を聞いてみた。「それはいいですね、歴史は大切ですからね」という、好意的な反応は返ってくる。けれども、展示会場を引き受けてくれ、協力してくれるかと迫れば、「精神医療の歴史を表に出すことは、偏見をむしろ助長する」などの理由で断られる。見学者としてならいいが、積極的には関わりたくない、蒸し返したくない過去には蓋をすればいい。そういうことなのか。小さな展示会でもいいから、歴史を通じて精神医療や精神障害についてみんな考える、語る、そういう場をつくりたいだけなのだが・・・
そんな愚痴話を、私の勤務先大学に在籍している韓国出身の大学院生に話した。すると、「韓国でやったらいいですよ」という。あっという間にソウルでの打ち合わせが実現し、それから3か月後の2014年11月中旬にソウルの人権団体が所有するビルのギャラリーで、記念すべき第1回の「精神医療ミュージアム移動展示プロジェクト―私宅監置と日本の精神医療史」展を行う運びになった。あまりに不思議な展開に、自分自身が驚いていた。
ところが、不思議なことはこれで終わらなかった。展示会の存在を知った人たちから、「次は私のところでどうですか」と、展示会開催オファーの連鎖が続いたのである。それで、第2回(東京・ワセダギャラリー)、第3回(大阪・船場ビルディング)、第4回(岡山・カイロス)、第5回(豊橋・岩屋病院)と、各地で文字通り移動展示が実現した。それぞれ、まったく性格の異なる会場であり、まったく異なる「客層」を迎えることになるのだが、それがとても刺激的だった。
そして第6回目の松沢病院にたどりついた。松沢病院はわが国の精神医療史の大舞台である。ここで展示会を実現できれば、「歴史理解にもとづく精神保健福祉教育プログラム」という点では申し分ないし、一般の市民の人たちが、精神科病院の敷地に足を踏み入れることができる絶好の機会になると考えた。とくに「松沢病院」のインパクトは大きい。
今回に限っては、私から松沢病院側に展示会の開催を申しかけた。海のものとも山のものともわからない、ソウルでの展覧会からはじまって、ある程度、展示方法のノウハウが蓄積し、展示実績を示すことができる状態になってきたからである。しかし、その交渉過程は必ずしもスムーズなものではなかった。当初予定していた、松沢病院の資料館での開催はできなかったし、開催予告で資料館見学に言及することもできなかった(ただし、結果として資料館見学も可能になったので、来訪者には満足してもらえたのではないかと思う)。公的な施設、しかも精神科病院なのでやむ得ない部分もあるだろう。とはいえ、展示会開催にともなうさまざまな不測の事態は、乗り越えるべき/乗り越えられる試練と考えている。
ところで、今回の展示方法で注意を払った点は、できる限り「アート・スペース」に近づけたいということである。病院側が用意した「木工室」にはパネルを貼る場所がなく、白々とした蛍光灯の無機質な光線も気になった。過去の展示会ではギャラリー・スペースが多かった。が、今回の部屋は展示場所としてはあまり相応しくない。そこで業者からパーテーションと照明器具をレンタルした。また、予算の関係で、限られた数のパーテーションと照明をどう配置するか、写真パネルをどういう間隔で貼り付けるかといった細部に少々頭を悩ませた。事前の下見で撮影した会場の写真をもとに、簡単なミニチュアを作ってあれこれ考えたが、実際に現場で物品の搬入作業をおこなってみないとわからないことが多かった。
普段の木工室
展示会開催中の木工室
今回の展示会では、一部の写真パネルに説明パネルを付けた。
また、展示内容は「私宅監置と日本の精神医療史」であるが、日本の精神医療史の教科書的な解説に終わるのではなく、私宅監置に関わる近年の研究成果をも盛り込み、専門家ではない来訪者にも「研究の現在」を少しでも伝える努力はしたつもりである。
たとえば、上のパネルは一次的な資料を使って私宅監置手続きの実際を解説している。
こうした具体的な事例を示すことが、私宅監置のような事象を来訪者に理解してもらうには重要と思われる。その意味では、映像資料、写真資料が展示効果を一層高めることは言うまでもない。ただ、以上で述べたことは、今回の展示会に限ったことではなく、これまでも注意してきたことではある。
第2回の展示会からギャラリートークを導入した。今回も、開催日である2016年9月2日・3日・9日・10日のすべてで、午前10時30分と午後2時30分から30分程度のギャラリートークを行った。
ギャラリートークの目的は、展示の内容を分かりやすく、かつパネルでは読み取れないかもしれないニュアンスを正確に説明することである。また、この場面で、来訪者と直接的な対話ができることがうれしい。ギャラリートークでは、私宅監置に関するさまざまな見方を紹介したつもりだが、それに呼応するように、「私宅監置の見方が変わった」という意見も多く聞かれ、これは主催者側としては狙い通りだったと捉えている。
最後に、過去の展示会でも同様だが、来場者と話しながら強く感じたことは、専門家・非専門家に関わらず、多くの人にとって、精神医療や精神障害の歴史は、未知の領域だという事実である。それにもかかわらず(あるいは、それゆえにか)、展示に深い関心を寄せてもらったことに、主催者側として深い敬意を表したい。
9月10日(土)午後2時30分スタートのギャラリートーク