科学とシェイクスピア、そして翻訳の困難~『PHOTOGRAPH 51』/北村 紗衣(武蔵大学)

観劇日:2018年4月6日

ロザリンド・フランクリンと作品の背景

 アナ・ジーグラ作『PHOTOGRAPH 51』は、DNAの構造解明につながる研究を行ったユダヤ系イギリス人の女性結晶学者ロザリンド・フランクリンの生涯を扱った芝居だ。もとの台本は2008年に書かれ、アメリカなどで数回上演されたのち、2015年にマイケル・グランデージ演出、ニコール・キッドマン主演でロンドンのノエル・カワード劇場にて上演され、大きな話題となった。日本語初演は2018年4月6日から22日まで東京芸術劇場シアターウエストにて実施され、その後4月25日から26日まで梅田芸術劇場シアター・ドラマシティでも上演された。演出はサラナ・ラパインが担当した。
ロザリンド・フランクリン
ロザリンド・フランクリン(1920-1958)
(Wikimedia Commonsより) https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rosalind_Franklin.jpg

 本作の登場人物は全て実在する科学者だ。フランクリンの他に、所属していたキングズ・カレッジ・ロンドンの同僚モーリス・ウィルキンズと助手レイ・ゴズリング、ケンブリッジ大学で研究していたフランシス・クリックとジェームズ・ワトソン、アメリカの研究者でフランクリンの友人だったドン・キャスパーが登場する。描かれている時期は、DNAの構造解明に関する熾烈な研究競争が行われていた1951年から1953年頃だ。ウィルキンズ、ワトソン、クリックはDNAの構造解明により1962年にノーベル生理学・医学賞を受賞しているが、フランクリンはその4年前に卵巣ガンで死亡していた。
模式図
「フォトグラフ51」と、そこからなぜ二重螺旋という形が推測できるのかを描いた模式図
(Wikimedia Commonsより) https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Experimental_setup_of_Photo_51.svg

 フランクリンの生涯は科学史上、大きな関心の的となっている。それは、この芝居のタイトルともなっている「フォトグラフ51」、つまりフランクリンが撮影したDNAのX線回折写真をめぐる研究倫理上のスキャンダルのためだ。この写真はワトソンとクリックがDNAの構造を解明するにあたって大いに役立ったと考えられている。しかしながら、ウィルキンズはこの未発表写真をフランクリン本人に知らせずワトソンに見せており、さらにワトソンとクリックは自分たちの研究を発表した際、フランクリンの貢献についてきちんとした言及を行わなかった。自分たちがデータを使ったことすらフランクリンに伝えていなかった。これは研究倫理の点では、当時においても非常に問題のある行為だ。誰かの未刊行の研究成果を本人に知らせず参照し、そのことを述べずに自分たちの研究成果に組み込むのは、他人の成果を自らの手柄であるかのように装う不誠実な行為だと考えられている。ノーベル賞を受賞するような重要な研究に倫理的問題があったというのは、ショッキングな話だ。その上、ワトソンが1968年に刊行した回想録『二重螺旋』にはフランクリンの能力や人柄について悪い印象を与えるような記述が含まれており、生前のフランクリンを知っていた人々を憤慨させることになった。このような経緯ゆえ、フランクリンは性差別やユダヤ人差別のために無視された不遇の研究者として、死後に注目を集めるようになった。『PHOTOGRAPH 51』は、こうした関心にもとづいて書かれている。

科学と芸術の美

 『PHOTOGRAPH 51』は、一種類のセットで展開される一幕ものだ。舞台は複数の空間に分けられ、中央及び左側には机、右側に椅子と棚などが置かれ、それぞれ別の空間という設定になっている。中央は主にフランクリン(板谷由夏)を中心とするアクションが展開する場所で、右側はウィルキンズ(神尾佑)、左側はキャスパー(橋本淳)、中央前方と中央後方はワトソン(宮崎秋人)とクリック(中村亀鶴)に関わるアクションが主に起こる。しかしながら例外はあり、終盤でウィルキンズとフランクリンが重要な会話を行う場面では、変化をつけるために左側が主に使われていた。これにゴズリング(矢崎広)を加えた6名のモノローグと会話で進んでいくポリフォニー的な作品だ。何人もの人物が舞台に立って語る場面もたくさんある。
 シンプルなセットで複数の人物の言葉が重なり合って響く演出は、DNAの研究は重なり合う形から美を見いだすことだという、登場する研究者たちの思考とよく調和している。序盤でキャスパーがフランクリンにあてて手紙を書き、結晶の重なり合う形を撮影した写真がいかに美しいか述べるところがある。フランクリンは山歩きなどが好きで、自然の美しさに敏感だ。この芝居に出てくる研究者たちは皆、多かれ少なかれ、DNAに代表される自然の美に惹かれている。本作における科学は非常に美しいもので、科学者たちは自然に隠された美を見いだす力を持つ。
 この作品において、科学の美は芸術の美につながる。美の発見というテーマは、作中で何度も引用されるウィリアム・シェイクスピアの『冬物語』にも見受けられるものだ。フランクリンとウィルキンズが1951年に上演されたピーター・ブルック演出、ジョン・ギールグッド主演の『冬物語』について話す場面が序盤と最後の2回あり、作中で重要な意味を持つ。
ジョン・ギールグッド
1950年代、舞台衣装をつけたジョン・ギールグッド(1904-2000)
(Wikimedia Commonsより) https://commons.wikimedia.org/wiki/File:JG-Benedick-1959.jpg

 『冬物語』はシチリア王リオンティーズが妻の不倫を疑ったことがきっかけで始まる、王妃ハーマイオニとその王女パーディタの受難を描いており、男性の嫉妬によって女性が窮地に陥る物語だ。これは、男たちのやっかみや足の引っ張り合いでいっぱいの研究競争に巻き込まれたフランクリンの運命に重なる。
 さらに『冬物語』は失われたもの、見えないものの発見に関する芝居であり、これもDNAの構造解明という作品の本筋に接続されている。『冬物語』は、死んだと思われていたハーマイオニが彫像の姿で現れ、実は生きていたと明かされる場面で終わる。本作の最後でフランクリンは『冬物語』について、ハーマイオニは本当は死んでいるのに、リオンティーズは何もないところに生命を投影する力を持っていたのだという解釈を語っている。このすぐ後にフランクリンは、自分の人生に関する後悔の念をほのめかしている。この一場は、劇中でフランクリンがDNAの構造を自ら解明することができず、それに対して無念に思う気持ちがあることを示唆するものだ。彫像だったはずなのに動き始めたハーマイオニは、仮説段階で組み立てられたが正しかった、ワトソンとクリックによるDNA模型に対応する。劇中で描かれているようにフランクリンはワトソンやクリックと異なり、動かぬ証拠が出てきて確信できるまでは模型を作ろうとしなかった。しかしながらワトソンとクリックは、想像力を用いて模型を作り、構造解明を先に成し遂げた。フランクリンはリオンティーズやワトソンとは異なり、目に見えぬ美しいものを想像し、それに命を吹き込むことができなかった。
 『PHOTOGRAPH 51』は、フランクリンが『冬物語』でリオンティーズ役を演じたギールグッドは良かったが、ハーマイオニ役の女優があまり目立っておらず、どうしても思い出せないと言うところで終わる。ほぼ同じ台詞をフランクリンは序盤のウィルキンズとの会話でも口にしている。この台詞は、ふたつのことを示していると考えられる。まず、この女優の運命は、フランクリンが科学史上で目立たなくなってしまったという運命と重なる。さらに、フランクリンには見落としてしまったものがあったということを示唆する。女優の名前を覚えておけなかったことは、DNAの構造が見えなかったことに通じる。
 実際のフランクリンは非常に優秀な科学者であり、不当に歴史から忘れ去られそうになった。一方でこの作品は、卓越した能力を持っていたフランクリンが二重螺旋の構造を早く解明できなかったことについて、本人が置かれていた厳しい状況と、科学者として抱いた後悔の念をも描き出している。フランクリンは中盤のゴズリングとの会話で、若い頃に父親から、科学に身を捧げようとするならば常に正しくあり続けなければいけないという忠告を受けたと語っている。女性でユダヤ系でもあるフランクリンにとっては、一度のミスでも致命的だ。本作のフランクリンには、研究のみならず人生全般について、男性ならば勇み足で許されることであっても、自分にとっては能力がないと見なされる決定打になり得るのではないかという不安がある。間違うリスクを冒すことはできなかったと頭ではわかっていても、あの時もっと想像力をたくましくしていれば、大胆にしていればもっと早く美しいものに出会えていたかもしれない、という疑念はぬぐえない。そんな葛藤をこの芝居は丁寧に表現している。

科学劇と翻訳の困難さ

 『PHOTOGRAPH 51』は、科学史を題材にしたしっかりした芝居だ。しかしながら、このような科学用語とシェイクスピアが飛び交う複雑な作品を翻訳するのは困難であり、日本語版の台本はその点、あまり成功しているとは言えなかった。全体的に耳で聞いただけではわかりづらい表現が多く、こなれた日本語ではなかった。筆者が観劇したのが初日だったこともあるだろうが、役者陣も長くて複雑な台詞を扱いかねているように見受けられた。
 さらに科学用語の翻訳について一箇所、疑問点がある。日本語版ではワトソンが、フランクリンは「逆向き螺旋」の支持者だという噂だと述べるところがある。この台詞は原著では“anti-helical”だ。この“anti-helical”はウィルキンズの回想録『二重らせん第三の男』の原著で数回使われているが、日本語訳では「反らせん」となっており、ウィルキンズはフランクリンがDNAは螺旋構造をとらないのではないかと疑っていたことを記録している。観劇中に「逆向き螺旋」という台詞を聞いた際、筆者は何のことかよくわからなかったのだが、おそらくこれは「反螺旋」、あるいは「螺旋説は支持していない」などと訳すべきだっただろう。科学についての文学作品を翻訳するのは非常に難しく、『PHOTOGRAPH 51』の日本語台本は、その困難を完全には克服できていなかったようだ。

北村 紗衣 (きたむら さえ)

北村 紗衣
 武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授。
 2008年に東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論にて修士号を取得した後、2013年にキングズ・カレッジ・ロンドンにて博士号取得。研究分野はシェイクスピア、舞台芸術史、フェミニスト批評。

 

参考文献
Shakespeare, William, The Winter’s Tale, The Arden Shakespeare, Third Series, ed. John Pitcher (Bloomsbury Arden, 2003) [ウィリアム・シェイクスピア『冬物語』小田島雄志訳(白水社、2000)].
Wilkins, Maurice, Maurice Wilkins: The Third Man of the Double Helix: An Autobiography (Oxford University Press, 2005) [モーリス・ウィルキンズ『二重らせん第三の男』長野敬、丸山敬訳(岩波書店、2005)].
Ziegler, Anna, Photograph 51 (Oberon Books, 2015).
セイヤー、アン『ロザリンド・フランクリンとDNA――ぬすまれた栄光』深町真理子訳(草思社、1979)。
マドックス、ブレンダ『ダークレディと呼ばれて――二重らせん発見とロザリンド・フランクリンの真実』福岡伸一監訳、鹿田昌美訳(化学同人、2005)。
ワトソン、ジェームズ・D『二重螺旋――完全版』アレクサンダー・ガン、ジャンウィトコウスキー編、青木薫訳(新潮社、2015)。