津和野の医療史をたどって——医食の学び舎(旧畑迫病院)訪問記 /藤本 大士(東京大学大学院)

 明治の文豪・森鴎外。数々の作品を世に残した鴎外は、代々藩医をつとめる家に生まれ、自身も医者となりました。鴎外が生まれ育ったのは、島根県の南西に位置する津和野です。廃藩置県後、浜田県(のち島根県)に入った津和野は、1889(明治22)年に津和野町として発足しました。1955(昭和30)年に津和野町は近隣の小川村・畑迫村・木部村と合併し、2005(平成17)年には日原町と合併しました。現在の人口は約7000人という小さな町ですが、山陰の小京都とも呼ばれるように、今でも昔の町並みが多く残っています。そんな津和野に、最近、人々の健康について考えることができる新しい施設がオープンしました。それが「医食の学び舎(旧畑迫病院)」です。

医食の学び舎
医食の学び舎(旧畑迫病院) (写真提供:津和野町教育委員会)

 医食の学び舎は、以前は鹿足郡畑迫村と呼ばれていた山間の場所にあり、津和野の中心部から車で20分ほど、徒歩で2時間ほどの場所にあります。施設の建物には、明治〜昭和期に開院していた畑迫病院を復元したものが利用されています。建物の半分は畑迫病院の展示室、もう半分は医食同源をテーマとしたレストラン「糧」が入っています。医食の学び舎は、医療史の展示とレストランのコンセプトを通じ、津和野の人々が、これまでどのように医療・健康について考え、これからどのように向き合っていくかについて考える機会を与えてくれます。
 畑迫病院は1892(明治25)年に開院しました。その創立者は、津和野の銅山師・堀礼造です。当時、赤痢が流行していたことを憂慮した堀は、医療に恵まれていない畑迫村・木部村の人々を救うために、私財を投じ、この病院を設立したのです。つまり、畑迫病院は僻地医療の先駆けとも言えるでしょう。以来、経営者の変更などがありながらも、1984(昭和59)年まで畑迫病院は長きにわたって津和野の人々の健康を守り続けたのでした。そして2016(平成28)年に、病院に残っていた文書・医療器具などを歴史資料として活用するため、畑迫病院の歴史を展示する医食の学び舎がオープンしたのでした。
 展示室は、大正・昭和初期当時の診察室・病室・待合室などを復元した小部屋から構成されます。それぞれの部屋には、当時、実際に使われていた机や医療器具、薬、あるいは医学書などが置かれています。そして、病院がどのような経緯でつくられたのか、病院ではどのような医師・看護師が働いていたのか、毎年、どういった病気の患者を、どのぐらい治療していたのかなどが解説されています。たとえば、外科室では病院の初代院長をつとめた吉田興三の紹介がおこなわれています。吉田は東京大学医学部出身で、森鴎外の一学年後輩でした。1893(明治26)年に島根で天然痘が流行した際、吉田は6000人もの村民に種痘をおこない、その流行を未然に防いだのでした。
復元した薬局
復元した薬局 (写真提供:津和野町教育委員会)

 当時の畑迫病院の様子を知ることが出来る史料は多く残されていますが、中村一成さん(上武大学)がその史料を用いて、「近代日本の農山村における病院医療供給と地域社会——名望家から産業組合へ」(『歴史と経済』所収)という論文を書かれています。医療史・経済史という観点からの専門的な論文ではありますが、関心のある方は是非一度読んでみてください。
 津和野には、医食の学び舎以外にもたくさんの観光名所があります。医食の学び舎の近くには、畑迫病院を創設した堀家の屋敷で、現在は国名勝となっている旧堀氏庭園があり、秋には美しい紅葉をみることができます。医療史に関する資料館もあり、たとえば、森鴎外記念館では、鴎外の博学多才を存分に知ることができる展示がおこなわれています。また、水俣病シリーズで知られる報道写真家・桑原史成も津和野出身で、彼の作品を多数展示した桑原史成写真美術館もあります。津和野を観光する際には、是非「医療史」という観点からも、その町の魅力を探ってみてください。

旧堀氏庭園
旧堀氏庭園 (写真提供:津和野町教育委員会)

藤本 大士 (ふじもと ひろし)

 東京大学大学院総合文化研究科(科学史・科学哲学)博士課程在学。
 高校生の頃に現代の医療・社会福祉政策に関心を持ち、早稲田大学人間科学部へ進学しました。学部在学中、植民地統治における医学・科学の役割などについての授業を受け、その歴史に関心をもつようになりました。大学院進学後は、医療・社会福祉の歴史について研究しています。修士論文では、江戸時代に幕府・藩が民衆に対してどういった医療政策をおこなっていたかについて分析しました。現在執筆中の博士論文では、近代日本において、キリスト教の宣教師でありながら医師として活躍したアメリカ人医療宣教師に注目し、彼らの活動の背景にあったものの分析を試みています。