『病短編小説集』 書籍紹介/石塚 久郎(専修大学)
『病短編小説集』(平凡社ライブラリー・2016年)
E.ヘミングウェイ、W.S.モームほか【著】石塚 久郎【監訳】 価格 ¥1,512(本体¥1,400)
愛や戦争は詩、演劇、小説のテーマになるのに病気が文学の主要テーマのひとつにならないのはおかしいわ、と嘆いたのは20世紀イギリスの小説家ヴァージニア・ウルフです。作家は魂ばかり気にして肉体は蚊帳の外。肉体をちょっと虐めただけで(歯を一本抜くとか)魂は音をあげるというのに、と。ウルフの言い分はもっともですが、彼女が想像する以上に文学は病を相手にしてきたのかもしれません。作家だって歯が痛けりゃ筆は進まないし、肉体は魂の透明なガラスじゃないわけです。現に、ロマン派の詩人ロバート・バーンズは歯痛に語りかけていますし、17世紀の詩人ロバート・ヘリックなども頭痛の詩をしたためています。当のウルフも戦争神経症の小説をものしている。そうすると、どんな作家がどんな病気を相手にしていたかが気になってきます。実人生における作家自身の病気や近親者の病気はもとより、作家が生きた時代に流行った病気も含めて、作家が紙の上でどんな病をどのように相手にしてきたのか。
例えば、19世紀の文豪チャールズ・ディケンズに「信号手」という短編があります。ヴィクトリア時代の最先端のテクノロジーである鉄道の信号手がトンネル近くで幽霊を二度も目撃し、しかもその直後に恐ろしい事故が起きる。これは何かの警告ではないかと確信したところで再び幽霊が現れる、次に犠牲者となるのは……という話で、一般的には幽霊譚として紹介されるのですが、過労でノイローゼ気味の信号手の妄想かもしれないし、彼は不眠症かもしれない、と医学的にもいろいろ解釈できます。面白いのは執筆の前年にディケンズ自身が鉄道事故に遭遇し、今でいうPTSD状態になったことです。事故のことを思い出すと手が震えて書けないと。この短編はいわば悪魔祓いのようなものとして書かれたのではないかという人もいます。更に面白い(というか不気味な)のは、幽霊の警告が実現するかのように、ディケンズは事故が起こった日のちょうど5 年後の6月9日に恐らく過労で死んでいることです。稀代の文豪の筆をもってしても悪魔祓いはできなかったわけです。
もっと面白い話が読みたいという方は、この英米文学のアンソロジー、世にも稀有な『病短編小説集』を手に取ってみてください。病気別に項目を立て、結核からハンセン病、梅毒、神経衰弱、不眠、鬱、癌、心臓病や皮膚病に関わる代表的な作品を取り上げました。作家もヘミングウェイやモームなど誰もが知っている有名どころからサミュエル・ウォレンという本邦初紹介のマイナーな作家まで様々です。作家の実体験が色濃く反映されている短編もあれば、プロットの仕掛けとしてちゃっかり病気を利用しているものもあります。たいていの作品は作家が生きた時代の偏見や価値観を半ば無意識に反映させています。そういった意味では、作家が病とどう向き合ったかという個人的な出来事だけでなく、その向こう側――社会や文化――にも窓が開かれています。
最後に、この本の読み方です。もちろん自由にどこから読んでもらっても構いませんが、短編本体は解説と抱き合わせになっています。複数の読者から言われたのですが、一つの短編を読んだ直後にその短編の解説を読むと面白さが二倍になるとのこと。是非、お試しあれ。
石塚 久郎(いしづか ひさお)
専修大学文学部教授。
上智大学文学部英文科、同大学院文学研究科で英文学を学んだ後、エセックス大学歴史学部で医学史を学びました。博士論文はロマン派の詩人ウィリアム・ブレイクと18世紀の医学についてです。一見医学とは無関係に見える文学テクストにも色濃く医学の語彙や概念が反映されている。それは何故か。本格的に医学史を(それもイギリスで)学ばなければその謎は解けないと思い、渡英。以来、文学と医学・病気をテーマに研究をしています。が、医学史の方面にも足を突っ込み過ぎた感があり、英文学と医学史の両方にコウモリのような居心地の悪さを感じています。さらに大学ではイギリス研究担当なので文学ではなく歴史・文化を教えているという座りの悪さもあります。よく言えば引き出しが多い、悪く言えば引き出しが浅いというところでしょうか。昨今の医学教育における医療人文学の台頭で医学と文学の関係も問い直されています。文学研究がどのように医学・医療に携わる人々に有益な知見をもたらすことができるのか、考えてみたいと思っています。