感染症と人類の闘い―国際協力の発展― /詫摩佳代(首都大学東京)

感染症と人類社会―いくつかの文学を手掛かりに

 2014年、世界を震撼させたエボラ出血熱は、2018年5月、再びアフリカのコンゴでその勢いを盛り返しつつある。感染症は歴史的に人類社会を震撼させ、時には破壊的な打撃を与えてきた。例えば14世紀半ばのヨーロッパでは、黒死病(ペスト)が大流行した。内陸アジアで発生したペストは、西は中東とヨーロッパ、東は中国まで、国境を越えた交易路に沿って広がったと考えられている(ケリー、p.24)。ヨーロッパに到達したのち、地中海沿岸のベネチア、サルディーニャを襲った後、内陸のリヨンやフィレンツェ、パリへと流行の足を伸ばした(図1、参照)。イタリア・ルネサンスの作家ジョヴァンニ・ボッカッチョは、1348年フィレンツェを襲ったペストの惨状を目の当たりにし、それをもとに『デカメロン』を執筆した。彼自身、父親を1349年にペストでなくしている。

図1 14世紀の黒死病 感染経路
図1
(出典:Wikipedia “Black Death”, from D.Cesana, O.J. Benedictow, and R. Bianucci, ‘The origin and early spread of the Black Death in Italy: first evidence of plague victims from 14th-century Liguria (northern Italy)’, in Anthropological Science, 125-1, 2017)

 『デカメロン』はボッカッチョ自身がフィレンツェで見聞したことをもとに描かれたものであり、600年以上前の、ペストに直面した人類社会の様子を克明に知ることができる。そもそもペストとは、ペスト菌に起因する感染症で、ペストに感染したネズミから吸血したノミを介して、人から人へと感染する。症状についてはボッカッチョの言葉を借りよう。

 「・・病気の初期の段階でまず男女ともに鼠蹊(そけい)部と腋(わき)の下に一種の腫瘍を生じ、これが林檎(りんご)大に腫れあがるものもあれば鶏卵大のものもあって、患者によって症状に多少の差こそあれ、一般にはこれがペストの瘤(こぶ)と呼び習わされた。そしていま述べたように、身体の二個所から、死のペストの瘤はたちまちに全身にひろがって吹きだしてきた。その後の症状については、黒や鉛色の斑点を生じ、腕や腿や身体の他の部分にも、それらがさまざまに現われて、患者によっては大きくて数の少ない場合もあれば、小さくて数の多い場合もあった。こうしてまず最初にペストの瘤を生じ、未来の死が確実になった徴候として、やがて斑点が現われれば、それはもう死そのものを意味した。(ボッカッチョ、上巻、p.19)」

 当時はまだペスト菌が発見されておらず、有効な治療法やワクチンも存在しない中、人々は汚物を浄めたり、隔離を試みたり、消毒を行ったりするが、その努力も虚しく、多くの人が亡くなっていく。その惨状は「・・あたり一面に死臭と病人の悪臭とが漂い、薬剤の臭気の漲(みなぎ)っていたさまが、察せられるであろう。(ボッカッチョ、上巻、p.23)」という一文に凝縮されている。ついには死者を埋葬する場所がなくなり、「死体置き場には、船倉に貨物を積みあげるみたいに、亡骸が層をなして重なり、その上にわずかな土が振りかけられたが、それもたちまちに溢れて溝いっぱいになってしまった(ボッカッチョ、上巻、p.28)」
 ペストはその後もたびたび、人類社会を震撼させてきた。例えば17世紀にロンドンを襲ったペストについては、ダニエル・デフォーが資料や見聞に依拠して『ペスト』を著している。中世のペストから300年以上が経過しているにもかかわらず、その惨状や街の対応は『デカメロン』での様子とあまり変わらない。どうすれば病から逃れられるのか、混迷した市民たちは、占い師のところへ押しかけ、ロンドンでは自称魔法師や、自称妖術者といった連中が出現する(デフォー、p.54)。
 適切な治療法や予防ワクチンが存在しない中で、政府が取りうる方策は隔離であった。1665年、ロンドン市長は閉鎖令を発令し、患者発生の家は1ヶ月、患者を訪問したものも一定期間、家屋閉鎖を命じられた(デフォー、pp.74-84)。家屋閉鎖とは、いってみれば自宅監禁であり、市民の間でヒステリーを引き起こし、監視員に暴力をふるって脱出を試みるものや、逃亡を隔てるもの続出した。感染症である限り、隔離はある程度の効果を持つが、他方、人権を無視した対応は社会に混乱を生み出す。「・・こんなふうに厳重に監禁されることの苦しみが結局人々を自暴自棄におちいらせ、前後の見境もなく家から飛び出させたのである。(デフォー、p.101)」
 感染症の大流行が社会に与える影響は、戦争のそれとよく似ている。フランスの作家アルベール・カミュは1947年に発表した『ペスト』のなかで、ペストに襲われ、閉鎖された都市の様子を描いている。幾何級数的に増えていく患者の収容が追いつかず、患者の出た家は閉鎖され、しまいに都市全体が外部と遮断される。食糧の補給と電気の供給は制限され、ガソリンは割当制となる。ライフラインを絶たれ、絶望の中で葛藤する人々の姿は、第二次世界大戦中、ドイツ軍占領下のフランスの様子と重ね合わせられている。「・・ペストがわが市民にもたらした最初のものは、つまり追放の状態であった(カミュ、p.102)」という一文は、感染症が戦争と同じく、市民社会を包囲し、極限に追い込みうるものであることを示している。

人類はどのように対処してきたのか?―科学技術と国際協力の発展

 以上、文学を手掛かりに、14世紀、17世紀、20世紀の市民社会が、それぞれ感染症とどのように関わってきたのかを見てきた。我々が生きる21世紀の社会は、以上3つのケースと比較してどうだろうか?エボラ出血熱や新型インフルエンザなど、有効なワクチンや治療法が開発されておらず、感染を食い止めることが難しい感染症に直面し、人類が苦悩する姿は、数世紀前と何ら変わっていない。エボラ出血熱に関しては、大流行から約3年を経た2018年5月、ようやくワクチンの治験が始まったばかりである。
 他方、その苦悩の内容は変化してきた。科学技術の発展により、コレラやペストなど、長く人類社会を脅かしてきた感染症については、病原菌が解明され、有効なワクチンや治療法が開発されてきた。ペストに関しては、1894年にペスト菌が発見され、1943年にはペストや結核に有効な抗生物質ストレプトマイシンが発見された。現在では、アフリカを中心にペストの症例は確認されているが、抗菌剤によって適切な治療を行えば治癒する。日本では1926年以降、患者は出ていない(図2、参照)。

図2 2010-2015年ペストの状況
図2
(出典: Centers for Disease Control and Prevention(CDC)ホームページ)

 人類と感染症の闘いに変化をもたらしたもう一つの要素は、国際協力の発展である。冒頭で紹介した3つのケースはいずれも、患者を家に隔離し、街を閉鎖するという、共同体内部の対策に徹している。しかし、感染症は国境や家の壁を容易に乗り越えてしまう。国境の内部での対処には限界があり、国境を越えた対処の枠組みが不可欠となる。19世紀半ば、ヨーロッパの国々は、国別のパッチワーク的な対応に代えて、国際的な対処枠組みを目指し、定期的に国際衛生会議を開催するようになった。1903年には国際衛生協定(International Sanitary Conventions)が締約され、加盟国は領域内で特定の感染症(コレラとペスト、1912年に黄熱病が付け加わる)が発症した際には、互いに通知すること、港など感染症の出入り口となる箇所で適切な衛生管理を行うことなどが義務づけられた。
 第一次世界大戦後、国際協力の枠組みはさらに強化された。国際連盟の下では、感染症情報システムの強化に加え、病原菌に関する国際共同研究が展開された。例えば1933年の時点で、国際連盟の下には、がん、ハンセン病、狂犬病など、テーマ別に約20の専門家委員会が設置されていた(安田、p.29)。各国の専門家が集い、専門事業について話し合うことは、広く国際保健協力のネットワークを築くことに貢献した(図3、参照)。

図3 1929年国際連盟主催の専門家会合
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(出典:League of Nations Archives)

 その枠組みは、第二次世界大戦後、世界保健機関(WHO)の下で、時代の変化を踏まえつつ、柔軟かつ確実に進展してきた。昨今の大きな変化としては、2005年の国際保健規約(International Health Regulations)の改定が挙げられる。1903 年に締約された上述の国際衛生規約は、その後、数回の改定を経てきたが、コレラや黄熱病など特定の感染症にしか適用できず、SARSや新型インフルエンザなど、昨今の新たな感染症に対処できないという問題点があった。また、インターネットや電子メールなど、情報通信技術の発達により、様々な主体から迅速に世界各地の感染症情報が入手できるようになったにも関わらず、従来の規約の下では、基本的に国家からしか情報収集ができないという問題も存在した。
 2005年に採択された新たな規約の下では、特定の感染症に限定するのではなく、国際的に見て緊急性の高い公衆衛生上の出来事へと対象が拡大され、研究所など、非国家主体からも必要な情報を収集できることとなった。この他、公衆衛生上、必要な措置(例えば隔離など)を講じる場合に、患者の人権に配慮し、措置に伴う不快感や苦痛を最小限に抑えること、十分な食事と水、適当な宿泊施設等を提供することも各国の義務として付け加えられた。

今後の課題

 しかし、各国の義務を規定することと、その義務を適切に履行することは別である。実際、多くの発展途上国では、衛生インフラの不備などにより、規約の義務を適切に果たせずにいる。WHOは公衆衛生上の危機が起きた場合の、各地域の対応能力を定期的に測り、その向上に向けた取り組みを行っている。以下の図4は2017年度におけるWHO加盟国の対応能力の現状を示したものであり、濃い緑色が付されている地域―北米と東アジア、西ヨーロッパーでは対応能力が高いことを示している。これに対し、クリーム色と鮮やかな緑色が付されている地域―アフリカと中央アジア、東欧、南米―では対応能力が十分に備わっていないことを示している。2014年のエボラ出血熱による大混乱は、対応能力が低い地域で発生したことと深く関わっていた。

図4 パンデミックに対する各国の対応能力(IHR Preparedness Core Capacity)2017
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(出典:WHO Global Health Observatory data)

 対応能力強化に向けた努力は、国際機関と先進国がリードしている。WHOでは各国の対応能力を監督する枠組み(IHR Core Capacity Monitoring Framework)を作り、特に脆弱な国に対する勧告や技術支援を行っている。アメリカでは2014年に途上国の対応能力の強化を図る目的で、グローバル・ヘルス・セキュリティ・アジェンダ(Global Health Security Agenda : GHSA) という独自のイニシアティブを打ち出し、トランプ大統領の下で活動資金が増額された。新型感染症のウイルスの解明、ワクチンや治療薬の開発と並んで、特に脆弱な国の対応能力の強化を図ることが、次なるパンデミックへの備えとなる。
 感染症が人類社会の脅威であることは、古今東西変わりない。他方、科学技術と国際協力の発展により、人類が国境を超えて感染症と向き合う枠組みを発展させてきたことは大きな功績であった。次なるパンデミックが起きた時、どのようなストーリーが生まれるのかは、既存の枠組みの弱点をどれだけ補強し、どれだけ発展させられるかにかかっている。

参考文献
ジョバンニ・ボッカッチョ、河島英昭訳『デカメロン』上・下(講談社、1999年)
アルベール・カミュ、宮崎嶺雄訳『ペスト』(新潮社、2004年)
ジョン・ケリー、野中邦子訳『黒死病―ペストの中世史』(中央公論新社、2008年)
ダニエル・デフォー、平井正穂訳『ペスト』(中央公論新社、2009年)
安田佳代『国際政治のなかの国際保健事業―国際連盟保健機関から世界保健機関、ユニセフへ』(ミネルヴァ書房、2014年)