精神疾患とアート その3 飯山由貴さんのインタビュー<後編>/鈴木 晃仁(慶応義塾大学)・飯山 由貴(アーチスト)

■「湯気 けむり 恩賜」(2013)

 2013年の3月に東京芸大大学院を修了し、同年の9月に一つの個展を行った。[図4]

湯気 けむり 恩賜
図4「湯気 けむり 恩賜」2013年

 修了制作は大正時代に制作されたスクラップブックを起点に取材をし、いくつかの物のネットワークを表した作品であったが、断片性が強調されるスクラップブックの要素のみが強調され、資料の持つ豊かさや複雑さよりも分かりづらさだけが残ったように思えた。しかし、修了展をきっかけに同年の秋に個展の誘いがあり、個展ではもう一度取材をし直し、一つの流れのなかにその資料を位置付け、手探りで取材をする自分の姿も記録しておこうと方向性を決めた。

 そのスクラップブックはネットオークションから500円くらいで購入したものである。誰のものかは分からないし、経年劣化もある。主には、後に大正天皇になる当時の皇太子と貞明皇后の記事がスクラップされていた。貞明皇后について調べていくうちに、ハンセン病につながっていった。そこで、皇后とハンセン病という主題に改めて入っていこうと考えたのである。

 ハンセン病の歴史の研究が始まった。貞明皇后(当時は皇太后であるが、この表記で統一する)の資金によって1930(昭和 5)年に癩予防協会が設立されるが、それは天平時代の光明皇后がらい患者を浴室で労ったという説話に倣っていると知った。そこで奈良に行き、現在でも法華寺に保存されている疾病者のための浴室(からふろ)を訪問し入浴した。また、現在のハンセン病の療養所を訪問して、ハンセン病回復者のことばを聞くというフィールドワークを行った。一人の回復者の語り部から聞いた、「自分が亡くなって、煙になって初めて故郷に帰ることができる」という言葉は非常に印象深かった。その煙と、奈良の浴室から立ちのぼる湯気が共在することは、ある大きな政策のもとでその人生の大きな年月を生きた人と、その政策のはじまりに深く関わった人との関係を抽象的に表しているように思えた。

 しかし、その語り部とはまた異なる、別の回復者の経験を聞いたことは、ハンセン病者についての自身の捉え方を変える転機になった。

 2013年の9月の前半に行った展示「湯気 けむり 恩賜」では、入り口のすぐそばに法華寺の写真や光明皇后の説話を描いた絵があり、 [図5] その隣には貞明皇后がハンセン病患者の為に詠んだ短歌を歌詞にし、山田耕筰が作曲した「つれづれの友となりて」という楽曲を録音したSPレコードを蓄音機にかけ、入場者が来るたびにこれを再生した。

図5「展示風景」2013年 JIKKA
図5「展示風景」2013年 JIKKA

 このSPレコードの表面は歌であるが、裏面は内務大臣による癩予防のための演説である。このレコードもネットオークションで入手した。そこから奥に進むと、スクラップブックの新聞記事をもとに作成したタペストリーと、法華寺の浴室からたちのぼる湯気と線香の煙を撮影した映像が配置されている。空間の最奥には、ハンセン病と診断され療養所に入所したが、療養所内では工夫して自分の本当の名前を使い、ある縁で養子縁組をしたので私には子供と孫がいるのです、と語る女性の語りを読めるようにした。

 このように、この展示は半年前の芸大の修了制作とはまったく違う展示となっていた。スクラップブックを使い、フィールドワークを行い、元患者にインタビューを行い、当時政策を広めるために作られたであろう音楽や演説を組み込んだ。一言でまとめるとしたら、歴史のリサーチから、新しいアート作品を作り上げることができた。

■妹と生活とアート

 この新しいアート作品を作り上げる力が、妹と新しい生活世界を作る方向に進んだ。飯山のアーチストとしての世界と、家族の一人としてのあり方が、新しい関係になった。妹は自宅や病院でケアされていた。妹の症状の中で、飯山の記憶に強く残っているのが、家の中で幻覚や幻聴を経験している様子だった。自身が高校生、妹が中学生くらいの時期に、平成期の古典である尾田栄一郎のマンガ作品『ワンピース』の中で原作には登場しないキャラクターを妹が創作し、彼女はそのキャラクターになり、仲間と一緒に会話をし、家の中を駆け回って大冒険していた。話しかけても体を引き止めても全く応答のない解離状態で長時間行われているそれを見たときに、彼女の症状は本当に「病気」なのだと、飯山は受容した。この症状は、当時の統合失調症のための薬が強すぎた、あるいは合わなかったので出たものではないか、とも考えられたたが、人間の心は、その人自身が生きている社会の文化やメディアに非常に影響されやすい、柔らかいものなのではないか、といった気づきを後に飯山に与えた。

 大学院修了後、飯山は実家に帰り、再び妹や家族と同居をしていた。スクラップブックから始まったハンセン病についての取材と作品制作を終え、改めて、自分の非常に身近なところにスティグマを抱えている精神疾患の当事者とその家族(自分自身も含めて)がいることに気がついた。今まで家族や自分自身は、彼女の調子が悪くなり、症状が出ても家の中に隠すようにしてきた。入院した病院で彼女が不当だと感じる経験をしたと聞いても、それは専門家が行うことなのだから、と彼女をなだめることしかできなかった。しかし、そのような形ではない、自分と彼女との関わり方があるのではないか、という問いを頭に浮かべながら生活をするようになった。

 一方で妹は、入院中に知った雑誌を家でも読むために、精神障害者が地域で生きるための情報提供や普及、交流活動をするNPO法人の賛助会員になり、雑誌を定期購読するようになっていた。その雑誌から、さまざまな人が精神疾患とどう付き合っているのか、地域でどういった支援活動がされているのか、情報を得るようになっていた。

 妹の症状としては、解離症状が起きると、ベランダの窓から飛び降りようとしたり、夜に家を出て、短時間しばらく放浪するという事件もあった。しかし、彼女の場合は解離症状が起こってもだいたい1時間ほどで落ち着く。そんなにやりたいことであれば、無理に家の中に閉じ込めず、自分が随伴して見守ればいい、と考えるようになった。 ある晩、調子が悪くなり、「本当の家を探しにいく」とつぶやきながら家を出ようとする彼女と一緒に近所をさまよった後、それはとても面白い問いかけだな、と感じた。調子が良い時に、改めて本当の家を探す散歩に行く約束をした。

 その際、妹と飯山は、2人の頭の上に小さなカメラ(GoPro)をつけた。これは美術の勉強を経て獲得した表現法であり、それと同時に妹と共有する生活の実践の一つが帰ってくる現象でもあった。高校生のときには、妹とは一緒に暮らさず、ある意味で「逃げた」状況になっていたが、美術を勉強し、アーチストとしての表現手段を身につけることで、その問題に向き合うことが出来るようになった。

 この試みは2013年のグループ展で作品として発表された。妹が考える本当の家を探しに行く非常に小さな旅である。妹と飯山の頭に撮影機をつけて撮影をし、その映像を重ね合わせることでよくある郊外の風景が異化され、その風景に妹の声が重なる。妹と今までとは違うかかわり方をして、新しい生活実践を繰り広げる行為の最初であった。[図6]

図6「あなたの本当の家を探しにいく」2013年 映像33分

 「湯気 けむり 恩賜」を見たWAITINGROOMのギャラリストである芦川朋子から、自身の恵比寿のギャラリーで展覧会をしないかと誘われた。飯山が提示した三つの主題の中から、妹の精神疾患を軸にして精神疾患を主題にした作品の展示が選ばれる。

 最初の作品を作り終え、彼女と一緒に振り返りの時間を持っているときに、彼女が現在経験している幻聴や幻覚の世界がより詳細に語られた。それは、詳細に話すと病気が重いと思われ薬が増えたり、入院中に保護室に入れられた経験から、自分の症状を具体的には話さないと決めた彼女が、久しぶりに語る機会だった。その内容を、彼女の希望もあり家族全員と一緒に再現をして、今度は「海の観音さまに会いにいく」という作品ができた。同時に飯山は鈴木を訪ねて、松沢病院や王子脳病院などの精神病院の古い記録が存在することを知り、そこからも作品を作っていく。

図7「海の観音さまに会いにいく」
図7「海の観音さまに会いにいく」2014年 映像21分

 このような動きは、医療者たちからも、慎重ではあるが積極的に評価をする態度を取って眺められた。「海の観音さまに会いにいく」は、<妄想が強いと思われると保護室に入れられるから、自分の心を語らない>患者の心のなかと頭の中を語る作品である。医療者たちは、総じてこの作品にポジティヴに反応した。この作品の主題はケアの問題でもあり、作品をみた精神科看護師や看護学校教員は、飯山に経験にもとづくさまざまな感想を寄せた。飯山は制作後、作品中での行為がカナダの精神科医エレンベルガーがいう「精神医療以前の治療行為」、すなわちある患者のために共同体内で行われる「祭り」や「儀式」に似ていると感じた。また、精神科医の小峰和茂の言葉でいうと「演劇性をよい意味で持つサイコドラマ」であった。

 WAITINGROOMでの展示を観て、愛知県美術館での展示を打診したのが中村史子である。中村との話し合いで、小さな空間で複数の映像作品を見せる圧迫感と音声の干渉というWAITINGROOMでの展示の問題点を和らげるよう心掛けた。新しい展示に使われたのは、江戸時代の妖怪譚である稲生平太郎物語の絵本であり、これは前述の精神科医小峰和茂の祖父に当たる精神科医で、妖怪と精神疾患の研究をしていた小峰茂之が収集したものである。

展示風景
図8「展示風景」2017年 せんだいメディアテーク

■おわりに

 飯山が高校時代から美術を学びアーチストとして成長する10年あまりの時期について、ほぼ同年代の妹の精神疾患と結んださまざまな関係を見てきた。美術学校が持つ引き上げる力と拒絶する力という二つの異なった正確、表現手段の可能性、媒体の親和性と他者性、そして歴史のリサーチ。このような多様なものが、家族の精神疾患への対応の根本に大きな影響を与えていた。

 それと同時に、精神疾患の患者である妹自身も、重要な役割を果たしていた。彼女が、現代の日本や世界で行われている、精神疾患の当事者を中心にした運動や活動を全く知らなかったら、こうした試みを受け入れることはできなかったのではないか。また、妹は、症状の詳細を専門家たちには話さなかったが、自身の幻聴や幻覚を彼女にとって重要な人々と共に「演じる」ことを通じて、自分のなかの傷ついた部分を自分自身の手で回復する試みになったのではないかと飯山は感じている。そういった妹の外と中の世界が、飯山によって作品なり出来事なりとして展示された。

 その作品に、ギャラリーや美術館が反応して、各所で優れた展示が行われた。鈴木が行ったことは、ギャラリー、学芸員、アーチストの三者にインタビューをしてメモをまとめ、3つの記事にしたことである。この記事は、アーチストである飯山が、インタビューの原稿に大きく手を入れることとなったため、共著とした。


飯山由貴さん
Photo by Shingo Kanagawa

ARTIST
飯山 由貴
IIYAMA Yuki


1988年神奈川県生まれ、東京都を拠点に活動。
個人の生活や経験、記憶をインタビューや記録物などを通してたどり、歴史や社会といった大きな文脈との関係性を見つめるインスタレーションを発表。
2015年、愛知県美術館にて個展開催。2016年「歴史する!Doing history!」(福岡市美術館)、2017年「コンニチハ技術トシテノ美術」(せんだいメディアテーク)出品。


告知

横浜トリエンナーレ2020 では、記事に関連する飯山由貴作品が展示される予定です。

展覧会横浜トリエンナーレ2020 公式サイト >>
会期2020年7月3日(金) – 10月11日(日) 木曜休
場所横浜美術館 横浜市西区みなとみらい3-4-1
プロット48 横浜市西区みなとみらい4-3-1(みなとみらい21中央地区48街区)
主催横浜市、公益財団法人横浜市芸術文化振興財団、NHK、朝日新聞社、横浜トリエンナーレ組織委員会